続き。
佐賀関の港から車で5~6分で太田缶詰の工場に到着。道さえ分かれば歩ける距離。今度来る時はお手間かけずに済むだろう。
細い入口の真正面に見えてきたのは、巨大なソテツの茂みと、その後ろに・・・・うわぁ~、富士山!!
白い洋館のてっぺんに、鮮やかな青い富士山が載っている!今はなき千代見湯を思い出す。
富士山の真ん中に「太」のマーク。聞けば、創業者が日本一の会社になるようにと富士山をトレードマークにしたのだとか。
1907(明治28)年の建物である。
1846(弘化3)年の創業、もともと海産物加工業をしていた創業者は缶詰の技術にいち早く目をつけて、
外国人技術者を呼びよせ缶詰工場を作ったのだという。昔はいろんな海産物の缶詰を作っていて、
日本全国に7ヶ所もの工場を稼動させていたほど景気よかったというが、現在はサザエの缶詰専門で、
工場もこの佐賀関だけとなった。
しかしこのサザエの缶詰が超高級品で、一缶4200円もする(驚愕)!ちょっと手が出ない・・・
ご主人いわくサザエを食べたあとのつけ汁でおいしい炊き込みごはんができ、二度楽しめるのだそうだ。
一見独立した洋館に見えるが、和館の玄関部分が洋館風になっている。かわいい軒飾りやファンライトが
いかにも明治の風情を漂わせる。目の前のソテツの木は六百年モノと言われているとか。。。
純洋風の外観とはうらはらに、上がりかまちがあり畳敷きの玄関の間にはついたてなどが飾られている。
鯖江の恵美写真館を思い出した。あそこも明治の建物。(今調べたところ実に明治28年、偶然にも同じ年だ!)
貴重なのは、この建物は建ってからほとんど手を入れられていないこと。調度品も全てオリジナルのものが
残っているといい、こちらのコート掛けは大阪の家具屋で作ってもらったものなのだとか。
玄関の間から階段を上って、二階の応接室は完全な洋室である。ここでコーヒーを頂きながらお話を伺った。
この応接室は外国人技術者を応対したり商談するのに使われたという。
天井には牡丹の花をかたどったレリーフが。
ところで、サザエの身を取ったあとに貝殻がたくさん残る。こちらではそれを加工して貝ボタンも作っているという。
ははぁ、天井の牡丹はボタンを洒落ていたのだな(笑)。
この額は貝ボタンで描いた富士山と、ボタンのサイズごとの見本を並べた額で、太平洋博覧会に出品した
ものだそうだ。数字が大きくなるほど径は小さくなる。ボタン作りの工程のサンプルなど貴重な資料も
見せていただいた。貝ボタンは近年になって本物志向が高まり問合せが増えているのだとか。
玄関の間の左側の戸を出ると和館の廊下である。その先には二間続きの座敷があり、そこで食事ができる。
今日も予約が入っているといい準備がしてあったが、お昼の時間の前に来たのでここも見せてもらうことができた。
驚くほど高い天井、じゅらく壁も昔のままだというが非常に状態がいい。欄間の透かしや建具の格子も
欠けることなく美しい姿を保っており、素晴らしい!この座敷でゆっくり海の幸を堪能するのもいいなぁ。
裏手には石造の倉庫が。現在は物置のようになっているが、こちらもゆくゆく活用したいと言われていた。
この石は「豊後石」だろうか。手仕事の痕が、まるでつい昨日ノミを入れたかのようにくっきりと残っている。
当時の職人さんの槌音が聞こえるような気がした。
ひとりでしかも素人のアポなし訪問にも関わらず、社長自ら送迎して頂き(私はどんなVIPなんだ!?)
丁寧に応対して下さった太田缶詰さん。
しかも商品を買わなかったのに(!)、桐箱とレトロな紙袋を記念に下さった。
本当にありがとうございました。誰かに贈り物の際には通販で買わせて頂きます!
続く。
佐賀関の港から車で5~6分で太田缶詰の工場に到着。道さえ分かれば歩ける距離。今度来る時はお手間かけずに済むだろう。
細い入口の真正面に見えてきたのは、巨大なソテツの茂みと、その後ろに・・・・うわぁ~、富士山!!
白い洋館のてっぺんに、鮮やかな青い富士山が載っている!今はなき千代見湯を思い出す。
富士山の真ん中に「太」のマーク。聞けば、創業者が日本一の会社になるようにと富士山をトレードマークにしたのだとか。
1907(明治28)年の建物である。
1846(弘化3)年の創業、もともと海産物加工業をしていた創業者は缶詰の技術にいち早く目をつけて、
外国人技術者を呼びよせ缶詰工場を作ったのだという。昔はいろんな海産物の缶詰を作っていて、
日本全国に7ヶ所もの工場を稼動させていたほど景気よかったというが、現在はサザエの缶詰専門で、
工場もこの佐賀関だけとなった。
しかしこのサザエの缶詰が超高級品で、一缶4200円もする(驚愕)!ちょっと手が出ない・・・
ご主人いわくサザエを食べたあとのつけ汁でおいしい炊き込みごはんができ、二度楽しめるのだそうだ。
一見独立した洋館に見えるが、和館の玄関部分が洋館風になっている。かわいい軒飾りやファンライトが
いかにも明治の風情を漂わせる。目の前のソテツの木は六百年モノと言われているとか。。。
純洋風の外観とはうらはらに、上がりかまちがあり畳敷きの玄関の間にはついたてなどが飾られている。
鯖江の恵美写真館を思い出した。あそこも明治の建物。(今調べたところ実に明治28年、偶然にも同じ年だ!)
貴重なのは、この建物は建ってからほとんど手を入れられていないこと。調度品も全てオリジナルのものが
残っているといい、こちらのコート掛けは大阪の家具屋で作ってもらったものなのだとか。
玄関の間から階段を上って、二階の応接室は完全な洋室である。ここでコーヒーを頂きながらお話を伺った。
この応接室は外国人技術者を応対したり商談するのに使われたという。
天井には牡丹の花をかたどったレリーフが。
ところで、サザエの身を取ったあとに貝殻がたくさん残る。こちらではそれを加工して貝ボタンも作っているという。
ははぁ、天井の牡丹はボタンを洒落ていたのだな(笑)。
この額は貝ボタンで描いた富士山と、ボタンのサイズごとの見本を並べた額で、太平洋博覧会に出品した
ものだそうだ。数字が大きくなるほど径は小さくなる。ボタン作りの工程のサンプルなど貴重な資料も
見せていただいた。貝ボタンは近年になって本物志向が高まり問合せが増えているのだとか。
玄関の間の左側の戸を出ると和館の廊下である。その先には二間続きの座敷があり、そこで食事ができる。
今日も予約が入っているといい準備がしてあったが、お昼の時間の前に来たのでここも見せてもらうことができた。
驚くほど高い天井、じゅらく壁も昔のままだというが非常に状態がいい。欄間の透かしや建具の格子も
欠けることなく美しい姿を保っており、素晴らしい!この座敷でゆっくり海の幸を堪能するのもいいなぁ。
裏手には石造の倉庫が。現在は物置のようになっているが、こちらもゆくゆく活用したいと言われていた。
この石は「豊後石」だろうか。手仕事の痕が、まるでつい昨日ノミを入れたかのようにくっきりと残っている。
当時の職人さんの槌音が聞こえるような気がした。
ひとりでしかも素人のアポなし訪問にも関わらず、社長自ら送迎して頂き(私はどんなVIPなんだ!?)
丁寧に応対して下さった太田缶詰さん。
しかも商品を買わなかったのに(!)、桐箱とレトロな紙袋を記念に下さった。
本当にありがとうございました。誰かに贈り物の際には通販で買わせて頂きます!
続く。