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Channel: まちかど逍遥
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神戸臨港貨物線跡、再び。 〜その前に

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前記事で、3時すぎに家を出たにしては日が暮れるのが早い、と気づいた方、お見事(笑)。
4時半に阪神岩屋に着いてからまず向かったのはJR灘駅の東側、貨物ヤードと
遊歩道の始まり部分までの間。
せっかくなので、根元がどうなっているかちゃんと見ておこうと思ったのだ。

JR灘駅前から歩き出す。駅近の廃線跡はやはりマンションである。セキュリティの厳重そうな、
落ち着いたマンション、「摩耶シティ」。


その先道路との立体交差がありややこしい地形になっているが、ややこしい部分は公園や
駐車場として使われている。


おや、公園に何かある。おおっ、レールじゃないか!終点の車止めもあるぞ。




公園の上を橋がまたいでいるようだが、公園は橋の手前で終わっていて、レールも途切れている。


この小さな橋は、「タカバシ」というらしい。説明板には貨物線を越えていた時代の写真があった。
現在の橋の部材は比較的新しいが、形状は基本的に変わっていないようだ。



しかし下を貨物列車が通っていたにしては低すぎる。いや、違う。公園の方が盛り土されているのだ。
ということは、あの車止めは後からそれらしく作られたものだな。
それでも雰囲気があるし、実用のまま残っているタカバシと合わせて、貨物線跡の歴史を伝える
気の利いたオブジェである。



さて、道路を斜めにくぐった貨物線跡の続きはまたマンション。駅に近いし高く売れるんだろう。


その向こうには兵庫県予防医学協会。この辺りはもう、貨物ヤードだな。
右側のコンクリート構造物には「西郷川橋りょう」のプレートが。
ヤードだったときは予防医学協会の場所もこの高さまで盛り土がしてあったと思われる。


向こう側に渡れるところがないか探していたが、あった、レンガのトンネルだ。
細い通路なのに人通りが多い。


内部には石積みの部分も見られ、トンネルの南半分が神戸線開通当時のものなんだろう。
盛り土を崩した時に入口部分が少し削り取られてしまったようだが、同じように石積みが
あったと思われる。


北半分はすでに掘り返され青天井となっていた。
出口近くには石積みの土留めやレンガと古いコンクリートの橋台などが残っていた。
これはあえて残してあるのだろうか。




灘の貨物ヤードの北側は未踏の地だったが、低層の住宅が広がっていた。このあたりから
北へ向かって勾配が始まり、西郷川のような細い川が地面を縦に刻む。
神戸のまちが六甲山の山すそであることをすでに感じる。


車窓からも見ていた広い敷地はすでに新しい土が入れられ、普通の更地になっている。
順次マンションや商業施設が作られるのだろう。そして人の流れが変わってゆく。


さて、岩屋駅前に戻り、ちょっとお茶を。。。
貨物線跡遊歩道を端まで見てから、こないだのリベンジで割塚温泉へ行くつもりなので、
時間がまだ早いなと(笑)。

というわけで、遊歩道の続きを歩き出したのは夕方6時頃だったんである、実は。

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