GWの山陰の続き・・・
余部鉄橋(橋梁)はこれまで数回は訪れているが、4年前に古いトレッスル橋から新しい橋に
架け替えられて興味がなくなってしまった。浜坂からの帰り、通り道なのでまぁ休憩がてら
立ち寄ることにしたのだが、GW中でお天気がよかったせいもあるだろう、ツーリングの
バイクで大にぎわいである。車も多い。
しかし驚いたのは、あのトレッスル橋脚がかなり残されていること。
橋の一部が残されて展望台になるということは当初からニュースで知っていたが、新しい橋の陰に
申し訳程度に残してもなぁと全く期待していなかったのだった。
しかし現地に来てみると印象が違った。
鉄橋は国道178号と川を跨いでいたが、元あった11本の橋脚のうち、駅寄りの3本は完全な形、
次の3本も一部ではあるが基礎及び立ち上がった鉄骨が残っているのだ。
基部だけを見ると6本の橋脚が立ち並ぶ様子がわかる形で保存されている。
川の向こう側の橋脚はすべて撤去されているが、来訪者の目線を考えれば、部材数に比べて効果は高い。
うまく残したな!
橋の下は公園として整備され、餘部駅までの遊歩道も、あいかわらずの急勾配だがきれいに舗装された。
坂道の途中で橋を望むと、鉄骨が重なる眺めを楽しむことができる。
餘部駅のホームは山側から海側に変わり、昔の印象とは全く変わってしまったが、
旧橋に続く線路が枕木やバラストごと残され、そこを歩けるようになっている。
「空の駅」と名づけられた展望台は去年のGWにオープンしたらしいので、ちょうど1年前だ。
旧橋の保存部分の先端まで歩いて行くことができる。もちろん、落下防止のためガラス張り。
足元の覗き窓から下を見ると、電車で通過したのではわからない、橋脚の実際の高さを感じられる。
フェンスの隙間から覗くとレールはぷつりと途切れている。
公園の片隅に説明板が設置されている。1912(明治45)年に余部橋梁が完成したあと、餘部駅が
設置されたのは何と1959(昭和34)年のことであった。余部集落の住民は汽車に乗るため
線路を歩いてトンネルを抜け隣の鎧駅まで行ったという説明と共に、この高い鉄橋の上を行列をなして
渡る人々の写真があった。この危険と不便を解消するため人々は餘部駅の設置を陳情し、
工事が始まると住民自ら大人も子供も総出で石を崖上へ運び上げたという写真。そして悲願の
一番電車を迎えた日の、ホームからはみ出んばかりにして旗を振る人々の写真・・・涙が出そうになる。
鉄道の乗客はその当時と比べると激減してしまっただろうが、余部の人々はこのときの喜びを忘れない
ように今に伝えている。
鉄橋の老朽化による架け替えはやむを得なかったことだろうが、地域の歴史でありシンボルであり
貴重な観光資源でもあった余部鉄橋。元の姿を想像する助けとなる数々の工夫からは、
何とか残したいという地元の方々の強い思いが感じられた。
詳しくは→こちら
この余部橋梁や田君川橋梁、竹野川橋梁の他にも、山陰線にはたたずまいに心惹かれる橋が多い。
安木川橋梁。丁寧に積み上げられたレンガの橋台と橋脚が美しく状態もよい。下を流れる川の
くねり具合もいいね!
明るく広々とした矢田川の河川敷をまたぐ矢田川橋梁。橋脚は円筒形の石積み。
河口に近い川の青さが印象的。背景の山では野生の藤が咲き乱れていた。
※それぞれ撮影日が違うためその日の天気によって写真の色合いが異なっています(苦笑)
余部鉄橋(橋梁)はこれまで数回は訪れているが、4年前に古いトレッスル橋から新しい橋に
架け替えられて興味がなくなってしまった。浜坂からの帰り、通り道なのでまぁ休憩がてら
立ち寄ることにしたのだが、GW中でお天気がよかったせいもあるだろう、ツーリングの
バイクで大にぎわいである。車も多い。
しかし驚いたのは、あのトレッスル橋脚がかなり残されていること。
橋の一部が残されて展望台になるということは当初からニュースで知っていたが、新しい橋の陰に
申し訳程度に残してもなぁと全く期待していなかったのだった。
しかし現地に来てみると印象が違った。
鉄橋は国道178号と川を跨いでいたが、元あった11本の橋脚のうち、駅寄りの3本は完全な形、
次の3本も一部ではあるが基礎及び立ち上がった鉄骨が残っているのだ。
基部だけを見ると6本の橋脚が立ち並ぶ様子がわかる形で保存されている。
川の向こう側の橋脚はすべて撤去されているが、来訪者の目線を考えれば、部材数に比べて効果は高い。
うまく残したな!
橋の下は公園として整備され、餘部駅までの遊歩道も、あいかわらずの急勾配だがきれいに舗装された。
坂道の途中で橋を望むと、鉄骨が重なる眺めを楽しむことができる。
餘部駅のホームは山側から海側に変わり、昔の印象とは全く変わってしまったが、
旧橋に続く線路が枕木やバラストごと残され、そこを歩けるようになっている。
「空の駅」と名づけられた展望台は去年のGWにオープンしたらしいので、ちょうど1年前だ。
旧橋の保存部分の先端まで歩いて行くことができる。もちろん、落下防止のためガラス張り。
足元の覗き窓から下を見ると、電車で通過したのではわからない、橋脚の実際の高さを感じられる。
フェンスの隙間から覗くとレールはぷつりと途切れている。
公園の片隅に説明板が設置されている。1912(明治45)年に余部橋梁が完成したあと、餘部駅が
設置されたのは何と1959(昭和34)年のことであった。余部集落の住民は汽車に乗るため
線路を歩いてトンネルを抜け隣の鎧駅まで行ったという説明と共に、この高い鉄橋の上を行列をなして
渡る人々の写真があった。この危険と不便を解消するため人々は餘部駅の設置を陳情し、
工事が始まると住民自ら大人も子供も総出で石を崖上へ運び上げたという写真。そして悲願の
一番電車を迎えた日の、ホームからはみ出んばかりにして旗を振る人々の写真・・・涙が出そうになる。
鉄道の乗客はその当時と比べると激減してしまっただろうが、余部の人々はこのときの喜びを忘れない
ように今に伝えている。
鉄橋の老朽化による架け替えはやむを得なかったことだろうが、地域の歴史でありシンボルであり
貴重な観光資源でもあった余部鉄橋。元の姿を想像する助けとなる数々の工夫からは、
何とか残したいという地元の方々の強い思いが感じられた。
詳しくは→こちら
この余部橋梁や田君川橋梁、竹野川橋梁の他にも、山陰線にはたたずまいに心惹かれる橋が多い。
安木川橋梁。丁寧に積み上げられたレンガの橋台と橋脚が美しく状態もよい。下を流れる川の
くねり具合もいいね!
明るく広々とした矢田川の河川敷をまたぐ矢田川橋梁。橋脚は円筒形の石積み。
河口に近い川の青さが印象的。背景の山では野生の藤が咲き乱れていた。
※それぞれ撮影日が違うためその日の天気によって写真の色合いが異なっています(苦笑)