雑司ヶ谷からの続き。
15分ほど歩いて鈴木信太郎記念館にやってきた。ざっくりした風合いの大谷石の石積みは2mぐらいある。
16時半までだからあと15分ぐらいしかない(汗)。早く入ろう。。
階段を上っていくと、道路からはほとんど見えなかった建物が姿を現した。中央に入口、芝生の庭に面して
右側に洋館、左側に木造の和館がある。
洋館は蔵のように窓が小さく、緩やかに波打った破風を模した装飾がついている。変わった意匠だな!?
2階は増築だろう。
和館は庭に面した広縁に全面ガラス障子がはまり、明るく快適そうだ。
なんとここも無料。玄関ホールから右を見ると、洋館の入口はまさに土蔵の入口のようだがRC造である。
中は床から天井まで本棚が作りつけられており薄暗い。そして驚いたことに暖炉があった。まぁ、蔵と思っていたから
意外な気がするが、洋館なら暖炉があるのも普通だ。くし形の通路の両側に書架を配し効率よく収納している。
鈴木信太郎はフランス文学者で、留学先から帰る際に船火事に遭い大切な蔵書を失った経験から、
絶対に燃えないようコンクリートでこの書斎棟を作り、窓を小さく、シャッターを取り付け、万全の防火対策をとったのだ。
その甲斐あって、空襲でも書斎棟は焼けず蔵書も守られた。
小さな窓には、鈴木信太郎自身がデザインしたステンドグラスがはまっている。これも空襲に耐えたのだ。
素人と思えないセンスのデザイン。ステンドグラスは全部で大小計5枚あり、書かれた文字は並べると
「MONDE EST FAIT POUR ABOUTIR A UN BEAU LIBRE S.M.」(世界は一冊の美しい本に近づくべくできている
ステファヌ・マラルメ)となる。
和館は焼けたため戦後しばらく鈴木一家はこの書斎棟で暮らしたとか。
戦後すぐに玄関左側の「茶の間・ホール棟」を新たに建築し、さらに続く2間続きの座敷は、
埼玉県の実家の書院を移築したのだという。そして書斎棟の2階も増築した。
縁側の桁の材を見ても、お金をかけて建てられた上質な建物であることが分かる。
結局15分の間でバタバタと見た。16時半が最終入場=閉館とは、ちょっと早すぎるな・・・(涙)
手早く外観を撮ってから退散。
鈴木信太郎記念館は実はメトロの新大塚駅のすぐそば。ここから乗って帰ってもいいのだが、せっかくなので
お風呂に入って帰ろう、と都電荒川線の向原駅へ向かって歩き出したら・・・大塚五丁目の大きな交差点の
向こう側に古い石蔵が見えた。うわっ、こんな大通りに面して石蔵が完璧な姿で残っているのか!
横断歩道を渡り近寄ってみる。辻野園茶舗の店舗とくっついているのでここの倉庫なのだろう。
おや、見覚えのある石。よくある大谷石かと思ったが、これは伊豆斑石じゃないか。
これまでこの石のことを知らなかったからかもしれないが、伊豆斑石の蔵は下田ではたくさん見たが、
他ではあまり見た覚えがない。
鎧戸や持ち送り金物も含め完璧な姿じゃない!?素晴らしいなぁ!
向原駅から都電荒川線に乗って早稲田駅まで行く間にとっぷりと日が暮れてしまった。終着駅の早稲田駅。
豊川浴泉は高い折り上げ格天井や鯉のいる池がある昔ながらのお風呂屋だが、内部はきれいに改修済みで
お客も多い。やはり東京は人口が多いだけにお風呂屋人口もそれなりにあるんだろう。当分は安泰かな。
あぁさっぱり!
終わり。
15分ほど歩いて鈴木信太郎記念館にやってきた。ざっくりした風合いの大谷石の石積みは2mぐらいある。
16時半までだからあと15分ぐらいしかない(汗)。早く入ろう。。
階段を上っていくと、道路からはほとんど見えなかった建物が姿を現した。中央に入口、芝生の庭に面して
右側に洋館、左側に木造の和館がある。
洋館は蔵のように窓が小さく、緩やかに波打った破風を模した装飾がついている。変わった意匠だな!?
2階は増築だろう。
和館は庭に面した広縁に全面ガラス障子がはまり、明るく快適そうだ。
なんとここも無料。玄関ホールから右を見ると、洋館の入口はまさに土蔵の入口のようだがRC造である。
中は床から天井まで本棚が作りつけられており薄暗い。そして驚いたことに暖炉があった。まぁ、蔵と思っていたから
意外な気がするが、洋館なら暖炉があるのも普通だ。くし形の通路の両側に書架を配し効率よく収納している。
鈴木信太郎はフランス文学者で、留学先から帰る際に船火事に遭い大切な蔵書を失った経験から、
絶対に燃えないようコンクリートでこの書斎棟を作り、窓を小さく、シャッターを取り付け、万全の防火対策をとったのだ。
その甲斐あって、空襲でも書斎棟は焼けず蔵書も守られた。
小さな窓には、鈴木信太郎自身がデザインしたステンドグラスがはまっている。これも空襲に耐えたのだ。
素人と思えないセンスのデザイン。ステンドグラスは全部で大小計5枚あり、書かれた文字は並べると
「MONDE EST FAIT POUR ABOUTIR A UN BEAU LIBRE S.M.」(世界は一冊の美しい本に近づくべくできている
ステファヌ・マラルメ)となる。
和館は焼けたため戦後しばらく鈴木一家はこの書斎棟で暮らしたとか。
戦後すぐに玄関左側の「茶の間・ホール棟」を新たに建築し、さらに続く2間続きの座敷は、
埼玉県の実家の書院を移築したのだという。そして書斎棟の2階も増築した。
縁側の桁の材を見ても、お金をかけて建てられた上質な建物であることが分かる。
結局15分の間でバタバタと見た。16時半が最終入場=閉館とは、ちょっと早すぎるな・・・(涙)
手早く外観を撮ってから退散。
鈴木信太郎記念館は実はメトロの新大塚駅のすぐそば。ここから乗って帰ってもいいのだが、せっかくなので
お風呂に入って帰ろう、と都電荒川線の向原駅へ向かって歩き出したら・・・大塚五丁目の大きな交差点の
向こう側に古い石蔵が見えた。うわっ、こんな大通りに面して石蔵が完璧な姿で残っているのか!
横断歩道を渡り近寄ってみる。辻野園茶舗の店舗とくっついているのでここの倉庫なのだろう。
おや、見覚えのある石。よくある大谷石かと思ったが、これは伊豆斑石じゃないか。
これまでこの石のことを知らなかったからかもしれないが、伊豆斑石の蔵は下田ではたくさん見たが、
他ではあまり見た覚えがない。
鎧戸や持ち送り金物も含め完璧な姿じゃない!?素晴らしいなぁ!
向原駅から都電荒川線に乗って早稲田駅まで行く間にとっぷりと日が暮れてしまった。終着駅の早稲田駅。
豊川浴泉は高い折り上げ格天井や鯉のいる池がある昔ながらのお風呂屋だが、内部はきれいに改修済みで
お客も多い。やはり東京は人口が多いだけにお風呂屋人口もそれなりにあるんだろう。当分は安泰かな。
あぁさっぱり!
終わり。