建物のいいミュージアムをぐるっとパスでめぐる。
大倉集古館は虎ノ門のホテルオークラの敷地内にあった。大倉とはホテルオークラの「大倉」なのかと、
常識のことにようやく気づく(苦笑)
新橋駅からごちゃごちゃした繁華街を抜けると再開発真っ盛りの虎ノ門。巨大なホテルの敷地を回り込んで
坂を上ってくると、反り返った屋根が見えてきた。外壁は石張り、朱色に塗られた軒裏や窓の桟は中国風。
左右対称の建物正面の1階には5連アーチ、2階にはバルコニーが。両側には六角形の窓が配されている。
楽山亭で見た「六方積」の石積みと同様、ひとつの石が6つの石に接し花びらのように見える貼り石。
大倉組の創始者である大倉喜八郎は、1902(明治35)年に自邸敷地内に大倉美術館を建てていたが、
1917(大正6)年、財団法人大倉集古館にすべてを寄付、日本初の財団法人の私立美術館が誕生した。
関東大震災で当初の建物と展示品が消失したあと、伊東忠太設計の建物が1927(昭和2)年に完成。
ホテルオークラ建設に伴い1962(昭和37)年に大規模改修が行われ、ほぼ現在の姿になったようだ。
建物の内部は天井が高く開口部がほとんどない大きなワンルーム空間であるが、梁の持ち送りや鉄扉のレリーフ
などに風格を感じる。しかしやはり建物内部の写真撮影はNG。残念~~
このときやっていた展示、「彩られた紙」展も見たいと思っていたのだが、これが想像以上に面白かった!
料紙とは書に使われる紙のこと。書の主役はもちろん文字で紙はしょせん背景、という考えは覆された!
奈良時代の書から見ていっても、材質、色、質感・・・本当に書が生きるような紙が選ばれている。
紙の原料としては楮やミツマタが有名だが、麻やマユミ、竹なども原料に使われ、胡粉や石膏、樹脂や
澱粉などを混ぜたりして白さ、肌理、強さを追求したり、艶が出るように表面を磨いてあったりもする。
それらの紙のマイクロスコープ画像が並べられているのが面白い!
さらに、文字に合わせて背景を飾る、そのこだわりようはもうどちらが主役なのか分からないほど!!
染める、模様を刷る、空刷して模様をつける、金銀を貼る、吹き付ける、散らす、絵を付ける・・・
それらの自由自在な合わせ技で飾られた、平家納経(模本)の美しいこと!!田中親美という人が厳島神社の
依頼を受けてオリジナルと同じ材料同じ技法で制作したという。文字もいろいろ。背景のグラデーションに
合わせて読みやすい色で書かれている。これがまた、青、緑、金色・・・など実にファッショナブル!!
文字の形状だけでなく料紙も書の一部、さらに表紙や見返し、軸先の意匠なども全部合わせて「書」という
芸術なのだと、なんとなくわかった気がした。
国宝の普賢菩薩騎象像も見ることができた。体つきが象に見えないけど(笑)
展示物の点数は少なかったが閉館まで1時間半ほどゆっくり堪能した。
そして建物の前庭にあった、石の羊。
これと似た羊の彫刻は春日野会病院(紅塵荘)や、他の場所でもたまに見かけて、なぜ羊なのだろうと思っていたが、
中国や朝鮮半島では、王領や陵墓の両側に置かれ、墓を守護し霊を鎮魂する「鎮魂獣」なのだそうだ。
大阪の新ダイビルの旧建物の羊もこの石羊をモデルにしたのだろうか。
新橋駅からぶらぶら歩いて来る途中のまちが面白かったので、帰りにもう少しうろつこうかな。
大倉集古館は虎ノ門のホテルオークラの敷地内にあった。大倉とはホテルオークラの「大倉」なのかと、
常識のことにようやく気づく(苦笑)
新橋駅からごちゃごちゃした繁華街を抜けると再開発真っ盛りの虎ノ門。巨大なホテルの敷地を回り込んで
坂を上ってくると、反り返った屋根が見えてきた。外壁は石張り、朱色に塗られた軒裏や窓の桟は中国風。
左右対称の建物正面の1階には5連アーチ、2階にはバルコニーが。両側には六角形の窓が配されている。
楽山亭で見た「六方積」の石積みと同様、ひとつの石が6つの石に接し花びらのように見える貼り石。
大倉組の創始者である大倉喜八郎は、1902(明治35)年に自邸敷地内に大倉美術館を建てていたが、
1917(大正6)年、財団法人大倉集古館にすべてを寄付、日本初の財団法人の私立美術館が誕生した。
関東大震災で当初の建物と展示品が消失したあと、伊東忠太設計の建物が1927(昭和2)年に完成。
ホテルオークラ建設に伴い1962(昭和37)年に大規模改修が行われ、ほぼ現在の姿になったようだ。
建物の内部は天井が高く開口部がほとんどない大きなワンルーム空間であるが、梁の持ち送りや鉄扉のレリーフ
などに風格を感じる。しかしやはり建物内部の写真撮影はNG。残念~~
このときやっていた展示、「彩られた紙」展も見たいと思っていたのだが、これが想像以上に面白かった!
料紙とは書に使われる紙のこと。書の主役はもちろん文字で紙はしょせん背景、という考えは覆された!
奈良時代の書から見ていっても、材質、色、質感・・・本当に書が生きるような紙が選ばれている。
紙の原料としては楮やミツマタが有名だが、麻やマユミ、竹なども原料に使われ、胡粉や石膏、樹脂や
澱粉などを混ぜたりして白さ、肌理、強さを追求したり、艶が出るように表面を磨いてあったりもする。
それらの紙のマイクロスコープ画像が並べられているのが面白い!
さらに、文字に合わせて背景を飾る、そのこだわりようはもうどちらが主役なのか分からないほど!!
染める、模様を刷る、空刷して模様をつける、金銀を貼る、吹き付ける、散らす、絵を付ける・・・
それらの自由自在な合わせ技で飾られた、平家納経(模本)の美しいこと!!田中親美という人が厳島神社の
依頼を受けてオリジナルと同じ材料同じ技法で制作したという。文字もいろいろ。背景のグラデーションに
合わせて読みやすい色で書かれている。これがまた、青、緑、金色・・・など実にファッショナブル!!
文字の形状だけでなく料紙も書の一部、さらに表紙や見返し、軸先の意匠なども全部合わせて「書」という
芸術なのだと、なんとなくわかった気がした。
国宝の普賢菩薩騎象像も見ることができた。体つきが象に見えないけど(笑)
展示物の点数は少なかったが閉館まで1時間半ほどゆっくり堪能した。
そして建物の前庭にあった、石の羊。
これと似た羊の彫刻は春日野会病院(紅塵荘)や、他の場所でもたまに見かけて、なぜ羊なのだろうと思っていたが、
中国や朝鮮半島では、王領や陵墓の両側に置かれ、墓を守護し霊を鎮魂する「鎮魂獣」なのだそうだ。
大阪の新ダイビルの旧建物の羊もこの石羊をモデルにしたのだろうか。
新橋駅からぶらぶら歩いて来る途中のまちが面白かったので、帰りにもう少しうろつこうかな。