岩手旅の続き。
鉈屋町から移動し、南昌荘へやってきた。昨日の午後遅く立ち寄ったがもう閉館時間を過ぎていたのだった。
・・・よかった、今は開いている。
「南昌荘」という巨大な看板が掲げられている。お屋敷というより道場のような雰囲気だな。
南昌荘は、盛岡出身の実業家、瀬川安五郎が1885(明治18)年に邸宅として建てたものである。
瀬川安五郎は、生糸売買で得た金をもとに事業家としての手腕を発揮、払い下げを受けた秋田県の
荒川鉱山を産出量全国5位となるまでに開発し、「みちのくの鉱山王」と呼ばれた。
また日本画家の平福穂庵を支援するなど文化的貢献も行った。
内部はおもしろい造りになっていて、玄関を入ると廊下があちこちへと伸びている。奥へ歩いていくと
階段を数段上ったところに「南昌の間」があった。スキップフロアみたいだな。左の廊下の奥にも階段がある。
特に傾斜地に建っているわけでもなく、この下に部屋があるわけでもないのに、なんか不思議な感じ・・・
30畳もある板張りの大広間はやっぱり道場のようだ!
南昌荘のお庭は、京都の庭園を模して盛岡の庭師が数年かけて築いたものという。
この部屋は、庭園の中央に張り出すように造られており、お庭鑑賞の一等地だ。
建築当初から板張りだったのかはわからないが、こんないい場所をわざわざ道場にはしないだろう(笑)
しかし、ここで宴会をするとか考えると寒そうだ・・・ちゃんと床の間もあるし元は畳敷きだったのかも。
部屋の周囲には広縁が設けられていて、ここからもお庭を鑑賞できる。
今は冬枯れだが、新緑や花の季節、紅葉の季節など色とりどりのパノラマが視界いっぱいに広がることだろう。
お庭を楽しめるのは南昌の間だけではない。この建物では離れのように棟がそれぞれお庭に張り出して
造られていて、それらが廊下で繋がれた格好になっている。
こちらの「松鶴の間」は3部屋続き間で、10畳が二間と一番奥が12.5畳の座敷。
床の間、書院付き。
こちらは「水月の間」の書院の欄間(だったと思う)。10畳と12.5畳の2間続き。
南昌荘では部屋貸しも行っている。
建物の中央にあり四方を廊下に囲まれた「香葉の間」。ここにはビルトインの大きな金庫があった!
商家ならともかく私邸にこんな大きな金庫とは、よっぽど多くの「タンス貯金」があったのだろう(笑)
人間が立って入れそうなくらい大きい。
天井は格天井だった。南昌の間でさえも格天井ではないのに、この茶の間っぽい部屋だけが格天井とは・・・
意外な気がするが、金庫もあるしやはり重要な部屋だったのだろう。
この襖紙の模様、遠目で見るとモヤモヤした迷彩柄のようだが、、、
近くで見ると全然印象が違う。七宝と花菱を組み合わせた模様で、とってもカワイイ!青色がきれいだな。
香葉の間と廊下に面した建具に使われていた。
この南昌荘、瀬川安五郎が手放したあとは、盛岡市長や県会議員などを務めた大矢馬太郎の別荘となり、
その後盛岡の名だたる実業家や豪商の手に所有が移り変わり、その時々で華やかな社交の場として使用された。
そして1969(昭和44)年、この歴史的な建物と庭園をマンション開発から守るために、盛岡市民生活
協同組合が買い取ったのだとか。あっぱれ!!
大切に維持管理され、2000(平成12)年から一般公開されている。あぁありがたいことだなぁ!
ボランティアガイドさんは熱心に案内してくれる。入館料300円とは別に少しでも寄付して維持に協力したい。
南昌荘は旧石井県令私邸のすぐ近くだったのに、前回は気づいていなかったな(苦笑)。
こちらも再訪しておこう。
2階建てに見えるがこちらから見ると3階建てだ。いや、これは地下室になるのかな?
窓が小さくて壁が多く、住まいとしての快適性はちょっと疑問だが・・・
いや、むしろ厚い壁で外気から遮断された建物は暖かくて快適だったのかも?
続く。
鉈屋町から移動し、南昌荘へやってきた。昨日の午後遅く立ち寄ったがもう閉館時間を過ぎていたのだった。
・・・よかった、今は開いている。
「南昌荘」という巨大な看板が掲げられている。お屋敷というより道場のような雰囲気だな。
南昌荘は、盛岡出身の実業家、瀬川安五郎が1885(明治18)年に邸宅として建てたものである。
瀬川安五郎は、生糸売買で得た金をもとに事業家としての手腕を発揮、払い下げを受けた秋田県の
荒川鉱山を産出量全国5位となるまでに開発し、「みちのくの鉱山王」と呼ばれた。
また日本画家の平福穂庵を支援するなど文化的貢献も行った。
内部はおもしろい造りになっていて、玄関を入ると廊下があちこちへと伸びている。奥へ歩いていくと
階段を数段上ったところに「南昌の間」があった。スキップフロアみたいだな。左の廊下の奥にも階段がある。
特に傾斜地に建っているわけでもなく、この下に部屋があるわけでもないのに、なんか不思議な感じ・・・
30畳もある板張りの大広間はやっぱり道場のようだ!
南昌荘のお庭は、京都の庭園を模して盛岡の庭師が数年かけて築いたものという。
この部屋は、庭園の中央に張り出すように造られており、お庭鑑賞の一等地だ。
建築当初から板張りだったのかはわからないが、こんないい場所をわざわざ道場にはしないだろう(笑)
しかし、ここで宴会をするとか考えると寒そうだ・・・ちゃんと床の間もあるし元は畳敷きだったのかも。
部屋の周囲には広縁が設けられていて、ここからもお庭を鑑賞できる。
今は冬枯れだが、新緑や花の季節、紅葉の季節など色とりどりのパノラマが視界いっぱいに広がることだろう。
お庭を楽しめるのは南昌の間だけではない。この建物では離れのように棟がそれぞれお庭に張り出して
造られていて、それらが廊下で繋がれた格好になっている。
こちらの「松鶴の間」は3部屋続き間で、10畳が二間と一番奥が12.5畳の座敷。
床の間、書院付き。
こちらは「水月の間」の書院の欄間(だったと思う)。10畳と12.5畳の2間続き。
南昌荘では部屋貸しも行っている。
建物の中央にあり四方を廊下に囲まれた「香葉の間」。ここにはビルトインの大きな金庫があった!
商家ならともかく私邸にこんな大きな金庫とは、よっぽど多くの「タンス貯金」があったのだろう(笑)
人間が立って入れそうなくらい大きい。
天井は格天井だった。南昌の間でさえも格天井ではないのに、この茶の間っぽい部屋だけが格天井とは・・・
意外な気がするが、金庫もあるしやはり重要な部屋だったのだろう。
この襖紙の模様、遠目で見るとモヤモヤした迷彩柄のようだが、、、
近くで見ると全然印象が違う。七宝と花菱を組み合わせた模様で、とってもカワイイ!青色がきれいだな。
香葉の間と廊下に面した建具に使われていた。
この南昌荘、瀬川安五郎が手放したあとは、盛岡市長や県会議員などを務めた大矢馬太郎の別荘となり、
その後盛岡の名だたる実業家や豪商の手に所有が移り変わり、その時々で華やかな社交の場として使用された。
そして1969(昭和44)年、この歴史的な建物と庭園をマンション開発から守るために、盛岡市民生活
協同組合が買い取ったのだとか。あっぱれ!!
大切に維持管理され、2000(平成12)年から一般公開されている。あぁありがたいことだなぁ!
ボランティアガイドさんは熱心に案内してくれる。入館料300円とは別に少しでも寄付して維持に協力したい。
南昌荘は旧石井県令私邸のすぐ近くだったのに、前回は気づいていなかったな(苦笑)。
こちらも再訪しておこう。
2階建てに見えるがこちらから見ると3階建てだ。いや、これは地下室になるのかな?
窓が小さくて壁が多く、住まいとしての快適性はちょっと疑問だが・・・
いや、むしろ厚い壁で外気から遮断された建物は暖かくて快適だったのかも?
続く。