2019年秋の山代温泉の続き。
九谷焼窯跡展示館の工房の建物の中には、こんなものも展示されていた。これはタイルなのか!?
長方形、それも1:1.4というなんか中途半端なタテヨコ比率の長方形。厚みは3cmぐらいあり、
テーパーがついておらずずん胴。だいたい大きさに対する厚みの割合が大きすぎる。瀬戸の敷瓦にも磁器製の
染付のものがあるが、それよりずっと分厚い。ショーケースの下や小上がりの足元などに、こんなたくさん・・・
九谷焼のタイルって、上絵付け以外聞いたことがなかったが、作られていたんだな。この分厚い磁器の板に、
染付の青とピンクの2色で、いろんな草花や扇などが描かれている。さすがに達筆な絵付けで、この紫がかった
淡い桃色が、何とも艶めかしい色気を添えているのだ。銘なのか、文字が入っているものもある。
このタイルは、北大路魯山人に陶芸を教えた名工、初代須田菁華の作だそうだ。ピンクは「釉裏紅」という色。
現地に掲示されていた説明書きによると、これらはもともと吉野家という旅館の家族湯に使われていたタイルで、
昭和30年代に改修した際に取り外し保管していたものを、後年加賀市へ寄付されたとのこと。
ここ山代温泉には2つの公衆浴場「総湯」と「古総湯」があり、現在総湯の建っている場所に、吉野家旅館が
あったらしい。
しかし一方、明治時代の総湯を忠実に再現したという現在の「古総湯」に、このタイルの復元品が使われている。
・・・ということは、タイルはもともと総湯に貼られていたものってこと?吉野家じゃなかったの?
ちょっとネットで調べてみると、『明治16年から「九谷陶器会社」の画工長を務めた初代菁華が、総湯の湯殿を
飾った九谷焼タイルを制作したことがわかった』という記述もあった。
・・・結局、吉野家か総湯かどっちにあったんだろう??
家族湯と言えば普通せいぜい数人程度が入れる規模の浴室であり、それにしてはタイルの数が多すぎる。
やはり総湯に使われていたというのが正しいように思える。それとも、吉野家旅館の家族湯と総湯の両方に
須田菁華のタイルが使われていたのか?う~む、また今度行って聞いてみよう。
そしてさらに驚いたことに、瀬戸の印花文敷瓦を思わせる正方形のタイルや、銅板転写タイプの本業タイルを思わせる
磁器の染付タイルなど、いろんな種類のタイルが生け花の周りに敷かれていたのだ!!
これは瀬戸と同様、型で押して陰刻を作ったのだろうが、見たことのない模様。白一色のものと、模様の部分に
呉須で濃淡をつけて着色したものの2種類ある。中央部が膨らんでいて歪みが大きいので陶器っぽいな。
これらは厚みも瀬戸の本業敷瓦と同じくらいでテーパーもついており、言われなければ本業敷瓦の新バージョンと
勘違いしてしまいそうだ。。。(汗)
現地の説明書きを読むと、古九谷では陶器や中国磁器なども焼いていたということだが、これらは古九谷では
あるまい。再興九谷ではどうだったか?
染付でも瀬戸のものとは趣が異なる。
さっきの総湯のタイルと同じ素地に赤絵で上絵付したもの。
これは中国の磚にとてもよく似ているが、やはり須田菁華の作なのだという。
須田菁華は多様な技法、様式の焼き物の写し(做古作品)を作ったようで、いっときこういう磚やタイルに
興味をもっていたのではないか。総湯のタイルを依頼されたときに、研究、試作したのかもしれない。
これは磁器だろう。四半貼り用の三角タイル。
大幅に改修されている工房の建物のうちで比較的旧状をとどめていると見られている座敷。ここも見学できると
いうことで上がって見ていたら、襖の引き手が九谷焼だった。さすが!!美しいなぁ~!
さてもうタイムリミット、サンダーバードに間に合うように駅へ戻る。
時間があれば総湯と古総湯、石川県九谷焼美術館なども行きたかったが、今回はここだけ。
次回は泊まって温泉街をうろうろしよう。
夜行バスからの2泊2日の旅、あぁ今回も充実して楽しかった!
おわり。
九谷焼窯跡展示館の工房の建物の中には、こんなものも展示されていた。これはタイルなのか!?
長方形、それも1:1.4というなんか中途半端なタテヨコ比率の長方形。厚みは3cmぐらいあり、
テーパーがついておらずずん胴。だいたい大きさに対する厚みの割合が大きすぎる。瀬戸の敷瓦にも磁器製の
染付のものがあるが、それよりずっと分厚い。ショーケースの下や小上がりの足元などに、こんなたくさん・・・
九谷焼のタイルって、上絵付け以外聞いたことがなかったが、作られていたんだな。この分厚い磁器の板に、
染付の青とピンクの2色で、いろんな草花や扇などが描かれている。さすがに達筆な絵付けで、この紫がかった
淡い桃色が、何とも艶めかしい色気を添えているのだ。銘なのか、文字が入っているものもある。
このタイルは、北大路魯山人に陶芸を教えた名工、初代須田菁華の作だそうだ。ピンクは「釉裏紅」という色。
現地に掲示されていた説明書きによると、これらはもともと吉野家という旅館の家族湯に使われていたタイルで、
昭和30年代に改修した際に取り外し保管していたものを、後年加賀市へ寄付されたとのこと。
ここ山代温泉には2つの公衆浴場「総湯」と「古総湯」があり、現在総湯の建っている場所に、吉野家旅館が
あったらしい。
しかし一方、明治時代の総湯を忠実に再現したという現在の「古総湯」に、このタイルの復元品が使われている。
・・・ということは、タイルはもともと総湯に貼られていたものってこと?吉野家じゃなかったの?
ちょっとネットで調べてみると、『明治16年から「九谷陶器会社」の画工長を務めた初代菁華が、総湯の湯殿を
飾った九谷焼タイルを制作したことがわかった』という記述もあった。
・・・結局、吉野家か総湯かどっちにあったんだろう??
家族湯と言えば普通せいぜい数人程度が入れる規模の浴室であり、それにしてはタイルの数が多すぎる。
やはり総湯に使われていたというのが正しいように思える。それとも、吉野家旅館の家族湯と総湯の両方に
須田菁華のタイルが使われていたのか?う~む、また今度行って聞いてみよう。
そしてさらに驚いたことに、瀬戸の印花文敷瓦を思わせる正方形のタイルや、銅板転写タイプの本業タイルを思わせる
磁器の染付タイルなど、いろんな種類のタイルが生け花の周りに敷かれていたのだ!!
これは瀬戸と同様、型で押して陰刻を作ったのだろうが、見たことのない模様。白一色のものと、模様の部分に
呉須で濃淡をつけて着色したものの2種類ある。中央部が膨らんでいて歪みが大きいので陶器っぽいな。
これらは厚みも瀬戸の本業敷瓦と同じくらいでテーパーもついており、言われなければ本業敷瓦の新バージョンと
勘違いしてしまいそうだ。。。(汗)
現地の説明書きを読むと、古九谷では陶器や中国磁器なども焼いていたということだが、これらは古九谷では
あるまい。再興九谷ではどうだったか?
染付でも瀬戸のものとは趣が異なる。
さっきの総湯のタイルと同じ素地に赤絵で上絵付したもの。
これは中国の磚にとてもよく似ているが、やはり須田菁華の作なのだという。
須田菁華は多様な技法、様式の焼き物の写し(做古作品)を作ったようで、いっときこういう磚やタイルに
興味をもっていたのではないか。総湯のタイルを依頼されたときに、研究、試作したのかもしれない。
これは磁器だろう。四半貼り用の三角タイル。
大幅に改修されている工房の建物のうちで比較的旧状をとどめていると見られている座敷。ここも見学できると
いうことで上がって見ていたら、襖の引き手が九谷焼だった。さすが!!美しいなぁ~!
さてもうタイムリミット、サンダーバードに間に合うように駅へ戻る。
時間があれば総湯と古総湯、石川県九谷焼美術館なども行きたかったが、今回はここだけ。
次回は泊まって温泉街をうろうろしよう。
夜行バスからの2泊2日の旅、あぁ今回も充実して楽しかった!
おわり。