2019年7月の長野旅の続き。
旧志賀高原ホテル、現志賀高原歴史記念館は木造4階建て。もともとはこのエントランスホールから左右に3階建ての
宿泊棟が続いていたのだが、向かって右側の棟は全部、左側の棟は一部を残して解体された。
2階へ上がって1階の暖炉を見下ろす。
一部残された左側の棟の2階には「志賀高原カフェ」が入っていた。
うぉ~、ここでお茶が飲めるとはうれしい!!
3階まで見たあとにカフェラテを頂いた。かわいいラテアート。やっぱり素敵な建築は見て回るだけでなく、
その空間にしばらく身を置いて、おいしい食べ物や飲み物を頂く、というのが至福の楽しみ。
テーブルクロスをめくると、マージャンテーブル!?
ここは調度品も古いものが残っているのがいい。
吹き抜けの周囲をめぐるゆったりとした通路。ソファが置かれたロビーだったのだろう。
1935(昭和10)年に日本初の国際スキー場に指定され、1998(平成10)年には長野冬季オリンピックの
アルペン競技の舞台となった志賀高原。ついこないだと思っていたらもう20年以上も経つのだな・・・(汗)
志賀高原ホテルにゆかりのあったアルペンスキー選手、猪谷千春氏に関する資料やメダルなども展示されていた。
3階へ。
3階には吹き抜けはないが部屋の真ん中に暖炉があって、椅子が並べられていた。
だだっ広くてがらんとした印象だが、もとはビリヤードルームだったといい、ビリヤード台がいくつも置かれて
いた光景を想像してみる。
暖炉は渋いいぶしのタイル貼り。
そして何といっても周囲の壁に貼られた日本画が美しい!!日本画家の西山英雄氏(1911~1989)の大作で、
志賀高原の春夏秋冬を描いている。
山小屋風の洋館に日本画を壁紙のように貼るなんて、何と斬新だっただろうか。夜に黄色い灯りにぼんやり
浮かび上がる志賀高原の四季・・・幻想的な雰囲気だっただろうな!そんなところでビリヤードを(笑)
暖炉で火を焚いたりして傷まなかったのか気になるが。。。
建物の正面側には少し出っ張った出窓のような部分があり、一段高くなったところにロッキングチェアーが3つ並んでいた。
ここでも暖炉の裏側の通路にステンドグラスが。正面側の窓は眺望のために透明ガラスを使い、山側はステンドグラスを
嵌めているのだろう。
これらのステンドグラスについての説明は現地にも書かれておらず、どこの工房の作なのか等よくわからないのだが・・・
ブルズアイ(牛の目)ガラスを使ったエントランスのシーリング照明と同じようなステンドグラスが、西宮市の
松山大学温山記念館にもあり、同じだとするとベニス工房の作なのだろうか。
客室へ続く廊下は立入禁止で、途中までで途切れているが、平面図を見ると客室が2室残されているようだ。
開業当初は、洋室、和室、二段ベッドのスキーヤーズルームなど合計56室、174人収容の大バコホテルだった。
セレブだけでなく若者が安く泊まれる部屋も用意されていたというのは、さすが国際スキー場としての志賀高原の
懐の深さ、ホスピタリティの高さが伺える。
尚、4階と地下は非公開だった。
朝イチからこんな超級物件を見ることができてもうおなかいっぱい!!しかし、一日はまだ始まったばかり。。。
続く。
旧志賀高原ホテル、現志賀高原歴史記念館は木造4階建て。もともとはこのエントランスホールから左右に3階建ての
宿泊棟が続いていたのだが、向かって右側の棟は全部、左側の棟は一部を残して解体された。
2階へ上がって1階の暖炉を見下ろす。
一部残された左側の棟の2階には「志賀高原カフェ」が入っていた。
うぉ~、ここでお茶が飲めるとはうれしい!!
3階まで見たあとにカフェラテを頂いた。かわいいラテアート。やっぱり素敵な建築は見て回るだけでなく、
その空間にしばらく身を置いて、おいしい食べ物や飲み物を頂く、というのが至福の楽しみ。
テーブルクロスをめくると、マージャンテーブル!?
ここは調度品も古いものが残っているのがいい。
吹き抜けの周囲をめぐるゆったりとした通路。ソファが置かれたロビーだったのだろう。
1935(昭和10)年に日本初の国際スキー場に指定され、1998(平成10)年には長野冬季オリンピックの
アルペン競技の舞台となった志賀高原。ついこないだと思っていたらもう20年以上も経つのだな・・・(汗)
志賀高原ホテルにゆかりのあったアルペンスキー選手、猪谷千春氏に関する資料やメダルなども展示されていた。
3階へ。
3階には吹き抜けはないが部屋の真ん中に暖炉があって、椅子が並べられていた。
だだっ広くてがらんとした印象だが、もとはビリヤードルームだったといい、ビリヤード台がいくつも置かれて
いた光景を想像してみる。
暖炉は渋いいぶしのタイル貼り。
そして何といっても周囲の壁に貼られた日本画が美しい!!日本画家の西山英雄氏(1911~1989)の大作で、
志賀高原の春夏秋冬を描いている。
山小屋風の洋館に日本画を壁紙のように貼るなんて、何と斬新だっただろうか。夜に黄色い灯りにぼんやり
浮かび上がる志賀高原の四季・・・幻想的な雰囲気だっただろうな!そんなところでビリヤードを(笑)
暖炉で火を焚いたりして傷まなかったのか気になるが。。。
建物の正面側には少し出っ張った出窓のような部分があり、一段高くなったところにロッキングチェアーが3つ並んでいた。
ここでも暖炉の裏側の通路にステンドグラスが。正面側の窓は眺望のために透明ガラスを使い、山側はステンドグラスを
嵌めているのだろう。
これらのステンドグラスについての説明は現地にも書かれておらず、どこの工房の作なのか等よくわからないのだが・・・
ブルズアイ(牛の目)ガラスを使ったエントランスのシーリング照明と同じようなステンドグラスが、西宮市の
松山大学温山記念館にもあり、同じだとするとベニス工房の作なのだろうか。
客室へ続く廊下は立入禁止で、途中までで途切れているが、平面図を見ると客室が2室残されているようだ。
開業当初は、洋室、和室、二段ベッドのスキーヤーズルームなど合計56室、174人収容の大バコホテルだった。
セレブだけでなく若者が安く泊まれる部屋も用意されていたというのは、さすが国際スキー場としての志賀高原の
懐の深さ、ホスピタリティの高さが伺える。
尚、4階と地下は非公開だった。
朝イチからこんな超級物件を見ることができてもうおなかいっぱい!!しかし、一日はまだ始まったばかり。。。
続く。