2019年の舞子の続き。
2階へ上る階段がまたすごかった!!
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八角形の外周に沿って上って行くのだが、その壁もまたあの妖艶な金唐革紙が貼られているのだ!
腰板が濃色なうえに窓が少なく、カーテンまでかかっているので薄暗い。こういうところでこそ金唐革の
エンボスの陰影が際立つのだ。
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ちなみにこちらが、展示されていたオリジナルの金唐革紙。くすんだ色でイメージが異なるが、長年の間に光沢がなくなったのか。、
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天井が高い分階段も長い。途中で折れながら階段は続く。。。
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そして・・・2階へ。
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おぉ!!ここもまたワンルームだが、1階よりも窓が多いのだろうか、結構明るく雰囲気がだいぶ違うな。
展示ケースが置かれ、孫文の生涯や呉錦堂の事業についてなど、資料がたくさん展示されている。
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2階の中心飾りは、牡丹の花に向かい合う2羽の鳳凰。こちらも1階に負けず劣らず中国風のゴージャス感が満載!!
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建物についての展示もあった。移情閣はコンクリートブロック造であるが、5018個ものブロックで構成されているという。
構造ブロックの他に、装飾用のブロックも多数使われており、テラコッタの代わりのようなものもある。
移情閣で使われているブロックは、田岡典章という人の持つ製造技術をもとに造られ「田岡式コンクリートブロック」と呼ばれる。
高価な石材の代用品を目指したもので、移情閣はその製品の実験場であったという。複雑な模様の装飾ブロックも
製造を試みられたが、その後建築界では鉄筋コンクリート造が主流となり、この田岡式コンクリートブロックが他の建物で
採用されることはなかったようだ。それゆえ移情閣は近代建築史上とても貴重な建物なのである。
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そして面白いことには、当初松海荘の本館に接して移情閣が建てられたために、松海荘の外壁が一部移情閣の壁を兼ねていた。
そして松海荘本館が取り壊されたときに、外壁の一部は移情閣の壁として残ったのである。それは松海荘の忘れ形見!!
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セメントタイルも展示されていた。これはやはり矩形の建物のテラスに敷かれていたのだろうか。
どこかに解説があったのかもしれないが・・・見なかった。断面を見るとこれは象嵌タイルだ。
セメントタイルは象嵌のタイプと単にペイントしたものとがあり、シンガポール、マレーシア、ベトナムなどでは
大量に床に敷かれているが、日本ではセメントタイル自体ほとんど見かけない。
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日本製ではないと思うが、、、大連の日本統治時代の建物では見かけたな。。
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移情閣の2階と矩形の建物の2階とは、天井高の違いから1m以上の段差があり、階段を5段ほど下ることになる。
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カボチャのような形の階段の親柱の飾り。
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呉錦堂は、住友吉左衛門を筆頭とする「大正全国富豪番附」の50番台に名前が挙がっており、阪神間では屈指の豪商だったらしい。
日本で生きた華僑の活躍について知ることができる興味深い展示がたくさんある。
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ちなみに移情閣の3階は締切り。
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雨がぱらついてきたのでこれにて終了。
移情閣がこんな面白い建物だったとは。見たことがあると思っていたのは何だったのか・・・あぁ、来てよかった!
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終わり。
2階へ上る階段がまたすごかった!!

八角形の外周に沿って上って行くのだが、その壁もまたあの妖艶な金唐革紙が貼られているのだ!
腰板が濃色なうえに窓が少なく、カーテンまでかかっているので薄暗い。こういうところでこそ金唐革の
エンボスの陰影が際立つのだ。

ちなみにこちらが、展示されていたオリジナルの金唐革紙。くすんだ色でイメージが異なるが、長年の間に光沢がなくなったのか。、

天井が高い分階段も長い。途中で折れながら階段は続く。。。


そして・・・2階へ。

おぉ!!ここもまたワンルームだが、1階よりも窓が多いのだろうか、結構明るく雰囲気がだいぶ違うな。
展示ケースが置かれ、孫文の生涯や呉錦堂の事業についてなど、資料がたくさん展示されている。

2階の中心飾りは、牡丹の花に向かい合う2羽の鳳凰。こちらも1階に負けず劣らず中国風のゴージャス感が満載!!


建物についての展示もあった。移情閣はコンクリートブロック造であるが、5018個ものブロックで構成されているという。
構造ブロックの他に、装飾用のブロックも多数使われており、テラコッタの代わりのようなものもある。
移情閣で使われているブロックは、田岡典章という人の持つ製造技術をもとに造られ「田岡式コンクリートブロック」と呼ばれる。
高価な石材の代用品を目指したもので、移情閣はその製品の実験場であったという。複雑な模様の装飾ブロックも
製造を試みられたが、その後建築界では鉄筋コンクリート造が主流となり、この田岡式コンクリートブロックが他の建物で
採用されることはなかったようだ。それゆえ移情閣は近代建築史上とても貴重な建物なのである。

そして面白いことには、当初松海荘の本館に接して移情閣が建てられたために、松海荘の外壁が一部移情閣の壁を兼ねていた。
そして松海荘本館が取り壊されたときに、外壁の一部は移情閣の壁として残ったのである。それは松海荘の忘れ形見!!

セメントタイルも展示されていた。これはやはり矩形の建物のテラスに敷かれていたのだろうか。
どこかに解説があったのかもしれないが・・・見なかった。断面を見るとこれは象嵌タイルだ。
セメントタイルは象嵌のタイプと単にペイントしたものとがあり、シンガポール、マレーシア、ベトナムなどでは
大量に床に敷かれているが、日本ではセメントタイル自体ほとんど見かけない。

日本製ではないと思うが、、、大連の日本統治時代の建物では見かけたな。。


移情閣の2階と矩形の建物の2階とは、天井高の違いから1m以上の段差があり、階段を5段ほど下ることになる。

カボチャのような形の階段の親柱の飾り。

呉錦堂は、住友吉左衛門を筆頭とする「大正全国富豪番附」の50番台に名前が挙がっており、阪神間では屈指の豪商だったらしい。
日本で生きた華僑の活躍について知ることができる興味深い展示がたくさんある。

ちなみに移情閣の3階は締切り。

雨がぱらついてきたのでこれにて終了。
移情閣がこんな面白い建物だったとは。見たことがあると思っていたのは何だったのか・・・あぁ、来てよかった!

終わり。