2019年10月の弘前の続き
翌朝、朝食後の運動を兼ねて散歩に出かける。
ホテルの前の通りは土手町という商店街が続き、百貨店も立地する弘前の中心街。かつて羽州街道であったため
古い建物もちょくちょく見られる。
純喫茶などもあるが、モーニングの習慣はないのかまだ店は開いていないな。。。
ちょっと横道にも入りながら。このいかにも「蔵」な造りの建物は百石町展示館(市指定文化財)。
何と1883(明治16)年に呉服店として建てられたとか。1917(大正6)年からは津軽銀行として営業。
津軽銀行は青森銀行と合併、1998(平成10)年まで青森銀行津軽支店として使用されていたというから驚く!!
平成の時代にこんな明治の蔵が現役の銀行支店だったとは!!その頃見てみたかったなぁ。
いやはやそれにしても、まちなかに明治の建築がごろごろしているとは、、、すごいな!
その向かいにあった笹の舎という建物。こちらもちょっとレトロな感じ。
これは歩き出したエッフェル塔!?いや、屋上広告塔の骨組みのようだ(爆)
見事なトラス構造。
まちの中心部を流れる土淵川、土手町という名はこの川の堤に由来するらしい。ただし現在「土手町」と呼ばれる通りが
まるまる土淵側の土手上だったわけではなく、むしろ川と直交している。
蓬莱橋から両側を見れば、土手町がまわりよりも高いことが分かる。
昭和レトロな「名曲&喫茶ひまわり」。ここもまだ開いていないのが残念。。
おや、この家は表側に店舗が造られているが元の建物はちょっと古そうだな。
少し近寄って見ると、うっすら「岩崎医院」と読める。その上には丸いランプが付いていたような台座が残っている。
おばちゃんがいたので少し会話するとやはり医院で、昭和40年代ぐらいにやめて、元々主屋とつながっていた
この部分を切り離したとか。今は店に貸しているという。
裏通りにあったこちらの坂本耳鼻咽喉科医院、レンガブロックとH型鋼の組み合せがク~~~ル!!
検索してみると、ATELIER TARCH(アトリエターク)というところが設計、2003(平成15)年に竣工したようだ。
小さな建物でもこういう質感のよい建物が増えていけば、古い建築と混ざって弘前のまちの風景はさらに魅力を増し、
また50年後に文化財や「趣きのある建物」となることだろう。
この写真は裏側、というか側面だった(笑)。カッコイイ正面の写真はアトリエタークのサイトに。→こちら
おや、「弘前中央食品市場」か、古そうだな・・・覗くとガランとしているがやっている店もあるようだ。入ってみよう。
ほとんどの店が、休みと言うのでなく抜けてしまったような感じ。。。
ずっと奥まで行くと、土手町の通りに抜けられる。というか、そちらが表側なのであり、表側に近い方はぽつぽつお店もやっていた。
入口付近の果物屋さん、りんご、ぶどう、梨、ラフランス・・・さすがに種類は多いし、めちゃくちゃ安いじゃないの!?
キャ~~~!にわかにテンション上がってきた!フルーツ大好き!あれもこれも買いたいが・・・旅はまだ始まったばかり。
今日明日で食べられるだけにしないと・・・日ごろ手が出ないシャインマスカットの小パック200円を今日と明日の分、2つ購入。
店のおっちゃんに聞いたら、そりゃこの辺で作ってるから安いよ、シャインマスカットも作る人が増えたしね、と。
いい時期に来たなぁ~~♪
ごきげんで散策を続行。
この食品市場の並びには、一戸時計店(明治32年築)、開雲堂(昭和3年築)などもある。かわいらしい時計塔。
ガーディナー設計(と言われている)の日本聖公会弘前昇天教会。1920(大正9)年築。
レンガ色は雪景色の中で映えそうだ。水を吸って割れたりしそうだけど・・・焼き締めレンガが使われているのだろうな。
そして、中央弘前駅をまた見ておこうと思って近づいたら・・・シートに覆われているじゃないの!不安がよぎる。。
シートの途切れた部分に入口があった。あぁまだ使われているな。よかった。
しかし、駅の人に聞いてみるとやはり建替えられる予定だとか。ええっ・・・確かに道路を挟んだ向かい側が空き地になっていた。
土手町の表通りから下ったところに隠れるようにして建つロケーションや、駄菓子屋に入って行くような入口が好きだったが、、、
元の姿 →こちら
防災広場を兼ねた駅前整備が行われるらしい。→こちら
使いやすくなって弘南鉄道の利用者が増えればいいな。それとか、この際JR青森駅まで延伸すればどう!?
今回は弘南鉄道に乗る機会がなかったけど・・・地方鉄道にはがんばってほしいなぁ。
続く。
翌朝、朝食後の運動を兼ねて散歩に出かける。
ホテルの前の通りは土手町という商店街が続き、百貨店も立地する弘前の中心街。かつて羽州街道であったため
古い建物もちょくちょく見られる。
純喫茶などもあるが、モーニングの習慣はないのかまだ店は開いていないな。。。
ちょっと横道にも入りながら。このいかにも「蔵」な造りの建物は百石町展示館(市指定文化財)。
何と1883(明治16)年に呉服店として建てられたとか。1917(大正6)年からは津軽銀行として営業。
津軽銀行は青森銀行と合併、1998(平成10)年まで青森銀行津軽支店として使用されていたというから驚く!!
平成の時代にこんな明治の蔵が現役の銀行支店だったとは!!その頃見てみたかったなぁ。
いやはやそれにしても、まちなかに明治の建築がごろごろしているとは、、、すごいな!
その向かいにあった笹の舎という建物。こちらもちょっとレトロな感じ。
これは歩き出したエッフェル塔!?いや、屋上広告塔の骨組みのようだ(爆)
見事なトラス構造。
まちの中心部を流れる土淵川、土手町という名はこの川の堤に由来するらしい。ただし現在「土手町」と呼ばれる通りが
まるまる土淵側の土手上だったわけではなく、むしろ川と直交している。
蓬莱橋から両側を見れば、土手町がまわりよりも高いことが分かる。
昭和レトロな「名曲&喫茶ひまわり」。ここもまだ開いていないのが残念。。
おや、この家は表側に店舗が造られているが元の建物はちょっと古そうだな。
少し近寄って見ると、うっすら「岩崎医院」と読める。その上には丸いランプが付いていたような台座が残っている。
おばちゃんがいたので少し会話するとやはり医院で、昭和40年代ぐらいにやめて、元々主屋とつながっていた
この部分を切り離したとか。今は店に貸しているという。
裏通りにあったこちらの坂本耳鼻咽喉科医院、レンガブロックとH型鋼の組み合せがク~~~ル!!
検索してみると、ATELIER TARCH(アトリエターク)というところが設計、2003(平成15)年に竣工したようだ。
小さな建物でもこういう質感のよい建物が増えていけば、古い建築と混ざって弘前のまちの風景はさらに魅力を増し、
また50年後に文化財や「趣きのある建物」となることだろう。
この写真は裏側、というか側面だった(笑)。カッコイイ正面の写真はアトリエタークのサイトに。→こちら
おや、「弘前中央食品市場」か、古そうだな・・・覗くとガランとしているがやっている店もあるようだ。入ってみよう。
ほとんどの店が、休みと言うのでなく抜けてしまったような感じ。。。
ずっと奥まで行くと、土手町の通りに抜けられる。というか、そちらが表側なのであり、表側に近い方はぽつぽつお店もやっていた。
入口付近の果物屋さん、りんご、ぶどう、梨、ラフランス・・・さすがに種類は多いし、めちゃくちゃ安いじゃないの!?
キャ~~~!にわかにテンション上がってきた!フルーツ大好き!あれもこれも買いたいが・・・旅はまだ始まったばかり。
今日明日で食べられるだけにしないと・・・日ごろ手が出ないシャインマスカットの小パック200円を今日と明日の分、2つ購入。
店のおっちゃんに聞いたら、そりゃこの辺で作ってるから安いよ、シャインマスカットも作る人が増えたしね、と。
いい時期に来たなぁ~~♪
ごきげんで散策を続行。
この食品市場の並びには、一戸時計店(明治32年築)、開雲堂(昭和3年築)などもある。かわいらしい時計塔。
ガーディナー設計(と言われている)の日本聖公会弘前昇天教会。1920(大正9)年築。
レンガ色は雪景色の中で映えそうだ。水を吸って割れたりしそうだけど・・・焼き締めレンガが使われているのだろうな。
そして、中央弘前駅をまた見ておこうと思って近づいたら・・・シートに覆われているじゃないの!不安がよぎる。。
シートの途切れた部分に入口があった。あぁまだ使われているな。よかった。
しかし、駅の人に聞いてみるとやはり建替えられる予定だとか。ええっ・・・確かに道路を挟んだ向かい側が空き地になっていた。
土手町の表通りから下ったところに隠れるようにして建つロケーションや、駄菓子屋に入って行くような入口が好きだったが、、、
元の姿 →こちら
防災広場を兼ねた駅前整備が行われるらしい。→こちら
使いやすくなって弘南鉄道の利用者が増えればいいな。それとか、この際JR青森駅まで延伸すればどう!?
今回は弘南鉄道に乗る機会がなかったけど・・・地方鉄道にはがんばってほしいなぁ。
続く。