3月の台湾の旅の続き。
迪化街は、大稲埕の港からほど近い場所に形成された問屋街で、日本統治時代に建てられた洋中ミックスのバロック風
商店建築がずらりと並んでいた。乾物や薬種、お茶などの店が多く、私も一番最初に来たのは、乾物を買いたいと言って
台湾に嫁いだ友人に連れて来てもらったのだった。キクラゲとか昆布飴みたいなお菓子とか買ったっけ(笑)
最初に行った時はまだおしゃれなお店など1軒もなかったように思う。寂れているわけではないが空き家も目立ち、
老朽化した建物の修復工事に着手しかけていた。レトロなまちなみスポットとしてガイドブックにも載っていたが、
基本地元の人が実用の品を買いに来る場所で、それほど観光客はいなかった。
その後も何度か来ているが、修復された建物に新しいお店が徐々に入り、建て替えで新しい建物も増えたが
バロック風を意識したデザインで建てられるので、パッと見新旧の区別が難しいほど馴染んでいる。
そして新しいお店もでき、メイン通りでは昔ながらの乾物屋の方が少数派になってきている。
あっ、タイル!でもこれは新しそう。修復時にタイル貼りも復元したようだ。金義合行のミニ版みたい(笑)。
こちらは新しい建物。外から見ると一軒一軒独立した店舗に見えるが内側に向かってオープンな構造で、中庭は
誰でも入れる空間に。
これが内側。仕切があるだけのブース。
壁はちゃんと砂岩の條石積みでつくられているな。
道に面してショップがあり裏はマンションになっている。
こちらはRCで作りかけの建物。
古い建物の改修工事も続いている。
やはり食べ物屋が多い。観光客にとって気軽に買い食いできるお店がたくさんあるのはやっぱり楽しいから賑わいも増す。
古いバロック風建築も、風合いそのままに生き生きしているように見えるな!
そんな迪化街の中に、林五湖古厝という中国風の古い町家があった。寺廟でもなさそうだし惹かれて近づくと、
無料で見学できるらしい。入ってみよう。
入ってまず驚くのは、外からは平屋建てに見えたのに、天井が吹き抜けになっているのだ!ただ天井が高いだけではなく、
2階の床の中央を抜いた形で手すりまで回っている。しかし実際には2階には吹き抜けの周囲にわずかなスペースが
あるだけで、部屋らしい部屋はなさそうだ。
尾道の西山本館や、十和田ホテルなどを思い出す。
林五湖古厝は、基隆から大稲埕にやって来た商人林藍田が1851年に建てた3軒の家のひとつで、迪化街の起こりとも
言える町家である。林氏の子孫が改修工事を行い、一般公開されるようになった。現在は表側の建物をテナント貸し
しているらしく、お茶屋さんが営業していた。
やはり間口の狭さとは対照的に奥行はとても長くうなぎの寝床スタイルである。途中にはこじんまりした中庭が設けられ
その奥にある祭祀堂と通路がつながっている。
祭祀堂では、林家のご当主だろうか、それともガイドさんだろうか、1人の男性が大勢の客を前に説明していた。
おそらくこの家や迪化街の歴史などについて話しているようで、私も聞きたかったが中国語なので分からず(汗)
入口から部屋の中を眺めるのみ・・・この部屋もさっきと同じように2階が吹き抜けとなっており、手すりもあった。
そして周囲の壁に先祖代々の方の肖像画が飾られていて、その中の一枚にふと目が留まる。おや?あれは?
市松模様の床。あれはもしかして敷瓦じゃないの!?近寄ってじっくり見たいのだが、皆座り込んで説明を聞いている
人々の中に入って行くのは目立ちすぎて恥ずかしい(苦笑)。根気よく説明が終わるのを待ってから、見に行った。
やっぱり!一枚一枚に花模様が描かれている。これは、三峡救生医院にあったのと同じ印花文敷瓦じゃないか。
もしくは定光寺の徳川義直廟にある鉄絵の敷瓦か!?本当のところはどうなんだろう!?
観光客で賑わう迪化街を下り、ちょっと脇へそれて新芳春業の建物を見に行こう。
民生西路という結構広い道路に面して日本統治時代のものと見られる大店の建物がぽつぽつとあり、大稲埕の繁栄を
今に伝えている。
町家3軒分の間口を誇る、三階建てのクールな建物。元は茶商であった王氏の店舗、工場、倉庫、兼住宅、であった。
2004年に製茶業を終了し、現在は、テナントショップ入り展示スペースなどもあるようだが、入らなかった。
と言うのは、ちょっと気になるものを見つけてしまったからだった。
続く。
迪化街は、大稲埕の港からほど近い場所に形成された問屋街で、日本統治時代に建てられた洋中ミックスのバロック風
商店建築がずらりと並んでいた。乾物や薬種、お茶などの店が多く、私も一番最初に来たのは、乾物を買いたいと言って
台湾に嫁いだ友人に連れて来てもらったのだった。キクラゲとか昆布飴みたいなお菓子とか買ったっけ(笑)
最初に行った時はまだおしゃれなお店など1軒もなかったように思う。寂れているわけではないが空き家も目立ち、
老朽化した建物の修復工事に着手しかけていた。レトロなまちなみスポットとしてガイドブックにも載っていたが、
基本地元の人が実用の品を買いに来る場所で、それほど観光客はいなかった。
その後も何度か来ているが、修復された建物に新しいお店が徐々に入り、建て替えで新しい建物も増えたが
バロック風を意識したデザインで建てられるので、パッと見新旧の区別が難しいほど馴染んでいる。
そして新しいお店もでき、メイン通りでは昔ながらの乾物屋の方が少数派になってきている。
あっ、タイル!でもこれは新しそう。修復時にタイル貼りも復元したようだ。金義合行のミニ版みたい(笑)。
こちらは新しい建物。外から見ると一軒一軒独立した店舗に見えるが内側に向かってオープンな構造で、中庭は
誰でも入れる空間に。
これが内側。仕切があるだけのブース。
壁はちゃんと砂岩の條石積みでつくられているな。
道に面してショップがあり裏はマンションになっている。
こちらはRCで作りかけの建物。
古い建物の改修工事も続いている。
やはり食べ物屋が多い。観光客にとって気軽に買い食いできるお店がたくさんあるのはやっぱり楽しいから賑わいも増す。
古いバロック風建築も、風合いそのままに生き生きしているように見えるな!
そんな迪化街の中に、林五湖古厝という中国風の古い町家があった。寺廟でもなさそうだし惹かれて近づくと、
無料で見学できるらしい。入ってみよう。
入ってまず驚くのは、外からは平屋建てに見えたのに、天井が吹き抜けになっているのだ!ただ天井が高いだけではなく、
2階の床の中央を抜いた形で手すりまで回っている。しかし実際には2階には吹き抜けの周囲にわずかなスペースが
あるだけで、部屋らしい部屋はなさそうだ。
尾道の西山本館や、十和田ホテルなどを思い出す。
林五湖古厝は、基隆から大稲埕にやって来た商人林藍田が1851年に建てた3軒の家のひとつで、迪化街の起こりとも
言える町家である。林氏の子孫が改修工事を行い、一般公開されるようになった。現在は表側の建物をテナント貸し
しているらしく、お茶屋さんが営業していた。
やはり間口の狭さとは対照的に奥行はとても長くうなぎの寝床スタイルである。途中にはこじんまりした中庭が設けられ
その奥にある祭祀堂と通路がつながっている。
祭祀堂では、林家のご当主だろうか、それともガイドさんだろうか、1人の男性が大勢の客を前に説明していた。
おそらくこの家や迪化街の歴史などについて話しているようで、私も聞きたかったが中国語なので分からず(汗)
入口から部屋の中を眺めるのみ・・・この部屋もさっきと同じように2階が吹き抜けとなっており、手すりもあった。
そして周囲の壁に先祖代々の方の肖像画が飾られていて、その中の一枚にふと目が留まる。おや?あれは?
市松模様の床。あれはもしかして敷瓦じゃないの!?近寄ってじっくり見たいのだが、皆座り込んで説明を聞いている
人々の中に入って行くのは目立ちすぎて恥ずかしい(苦笑)。根気よく説明が終わるのを待ってから、見に行った。
やっぱり!一枚一枚に花模様が描かれている。これは、三峡救生医院にあったのと同じ印花文敷瓦じゃないか。
もしくは定光寺の徳川義直廟にある鉄絵の敷瓦か!?本当のところはどうなんだろう!?
観光客で賑わう迪化街を下り、ちょっと脇へそれて新芳春業の建物を見に行こう。
民生西路という結構広い道路に面して日本統治時代のものと見られる大店の建物がぽつぽつとあり、大稲埕の繁栄を
今に伝えている。
町家3軒分の間口を誇る、三階建てのクールな建物。元は茶商であった王氏の店舗、工場、倉庫、兼住宅、であった。
2004年に製茶業を終了し、現在は、テナントショップ入り展示スペースなどもあるようだが、入らなかった。
と言うのは、ちょっと気になるものを見つけてしまったからだった。
続く。