台湾の続き。
翌日は台北に住む友人と朝イチで待ち合わせて、華山市場の行列のできる朝食へ。
東門駅を出たら目の前に行列が見えたのでとりあえず並び(笑)、30分以上かかってようやく2階にある
フードコートにたどり着き、卵と揚げパンを挟んだパン(?)に豆乳の朝食にありついた。
パンに揚げパンを挟むという感覚は理解できないが、卵との味付けが絶妙でなかなか美味しかった。
さてそのあとはすぐ近くにある華山文創園区へ。もう10年近くも前にオープンしている施設だが、
行ってみたいと思いながらこれまで行けてなかったのだった。
ここは日本統治時代に作られたお酒の工場だったところで、当時の建物をそのままに、各種のお店や展示場や
アートスペース、イベントスペースなど、台北の文化情報発信地となっている。
9時半ではまだお店は開いていないが、道路に面した広場で何かイベントの準備をやっているようで、すでに
お客もちらほら訪れている。また近所の人だろう、犬連れの人も。車の来ない広い場内は恰好のお散歩コースだ。
おしゃれなお店でショッピングを楽しみたいという乙女心もあるが(笑)、先に建物の見学といこう。
人の少ないうちが写真も撮りやすい。
工場建築とひと口に言っても、それぞれの建物は用途も違うし建てられた年代も違うのだろう、すごく多様だ。
レンガ造あり、木造あり、RC造あり。大きさもスタイルもばらばら。
このレンガは防空色に塗られていたのだろうか。
それらの多様な建物が隣り合って建ち、通路でつながる、その隙間に素敵な空間ができている。
隙間には、植えられたものなのか自然に生えてきたものなのか、様々な植物が青々と茂り、時には建物を貫き、
建物と一体化している。
建物も素敵なのだがその隙間の方がむしろ主役かもしれない。建物は、不整形の通路を作る構造物であり、通路の背景。
そう考えて歩くのも面白い。
南国の植物のたくましさ、柔軟さにはいつも驚かされる。
青磁色のリブ面タイル貼りの廊下の一角に、この工場の歴史についてのパネルが展示されていた。
それによると、日本統治時代に創立された芳醸合名会社が1914(大正3)年より醸造を開始、冷蔵式製造法に
より高品質な清酒を製造した。時代と共に、専売局台北酒工場、台灣省菸酒公賣局第一酒廠、と名前を変え、
1987年まで稼動していたようだ。「華山1914文創園区」という名は工場の開業年からつけられているのだな。
このあたりは初代台湾総督であった樺山資紀の名から「樺山町」と名づけられていたが、戦後「華山」となった。
鳥瞰図を見ると、この工場の敷地の端の方の一角に樟脳工場もあったようだ。
三井と鈴木の両財閥が出資して台湾精製樟脳株式会社を創立、その後「日本樟脳株式会社台北支店」となり、
1918年に芳醸合名会社の敷地の一角に完成したレンガ造の工場「紅磚六合院」で樟脳の製造を開始した。
その工場跡地は今どうなっているのだろう。もう壊されてしまったのだろうか。
友人は用事があると言って先に帰り、一人で散策を続ける。11時になってお店も開き出しお客もどんどん増えてきた。
大きな建物は映画館やイベントスペースに、中ぐらいの建物はアートスペースやショールームや複合ショップに。
こじんまりした建物は単体のショップや飲食店に。
ヤドカリが自分の体に合った貝殻をうまく見つけるように、それぞれの建物ごとのスケール感や質感に見事に
フィットした用途で使われていて何とも気持ちいい。
「文化創意産業園区」なので、既存のアパレル店やチェーン飲食店などはいっさい入っていない。
すべて店主個人の感性が伝わってくるような創作的で個性的な店であり、若い人たちの意欲とパワーが溢れ出している。
お客も台湾人のほか私のような外国人観光客もかなり多い。街歩きに便利そうなリュックを衝動買いしてしまった。
建物の一部に残っていた古いタイル。ここは研究所か何かだったのだろうか。
まだまだ使われていない建物もたくさんあって、こちらも鋭意工事中。さて次は何ができるのだろうか。
使えるところから使いはじめ、必要になったときに、新たなエリアの改修に着手して使っていく。無理のない
計画で、時間をかけて賑わいを作り出していく。台湾はこういう産業遺産の活用が本当にうまいなぁ。
観光案内所になっている建物のアーチ型の大きな窓。立ち入り禁止となっている2階への階段がカッコイイ!!
さて、樟脳工場のあったあたりへ行ってみよう。
続く。
翌日は台北に住む友人と朝イチで待ち合わせて、華山市場の行列のできる朝食へ。
東門駅を出たら目の前に行列が見えたのでとりあえず並び(笑)、30分以上かかってようやく2階にある
フードコートにたどり着き、卵と揚げパンを挟んだパン(?)に豆乳の朝食にありついた。
パンに揚げパンを挟むという感覚は理解できないが、卵との味付けが絶妙でなかなか美味しかった。
さてそのあとはすぐ近くにある華山文創園区へ。もう10年近くも前にオープンしている施設だが、
行ってみたいと思いながらこれまで行けてなかったのだった。
ここは日本統治時代に作られたお酒の工場だったところで、当時の建物をそのままに、各種のお店や展示場や
アートスペース、イベントスペースなど、台北の文化情報発信地となっている。
9時半ではまだお店は開いていないが、道路に面した広場で何かイベントの準備をやっているようで、すでに
お客もちらほら訪れている。また近所の人だろう、犬連れの人も。車の来ない広い場内は恰好のお散歩コースだ。
おしゃれなお店でショッピングを楽しみたいという乙女心もあるが(笑)、先に建物の見学といこう。
人の少ないうちが写真も撮りやすい。
工場建築とひと口に言っても、それぞれの建物は用途も違うし建てられた年代も違うのだろう、すごく多様だ。
レンガ造あり、木造あり、RC造あり。大きさもスタイルもばらばら。
このレンガは防空色に塗られていたのだろうか。
それらの多様な建物が隣り合って建ち、通路でつながる、その隙間に素敵な空間ができている。
隙間には、植えられたものなのか自然に生えてきたものなのか、様々な植物が青々と茂り、時には建物を貫き、
建物と一体化している。
建物も素敵なのだがその隙間の方がむしろ主役かもしれない。建物は、不整形の通路を作る構造物であり、通路の背景。
そう考えて歩くのも面白い。
南国の植物のたくましさ、柔軟さにはいつも驚かされる。
青磁色のリブ面タイル貼りの廊下の一角に、この工場の歴史についてのパネルが展示されていた。
それによると、日本統治時代に創立された芳醸合名会社が1914(大正3)年より醸造を開始、冷蔵式製造法に
より高品質な清酒を製造した。時代と共に、専売局台北酒工場、台灣省菸酒公賣局第一酒廠、と名前を変え、
1987年まで稼動していたようだ。「華山1914文創園区」という名は工場の開業年からつけられているのだな。
このあたりは初代台湾総督であった樺山資紀の名から「樺山町」と名づけられていたが、戦後「華山」となった。
鳥瞰図を見ると、この工場の敷地の端の方の一角に樟脳工場もあったようだ。
三井と鈴木の両財閥が出資して台湾精製樟脳株式会社を創立、その後「日本樟脳株式会社台北支店」となり、
1918年に芳醸合名会社の敷地の一角に完成したレンガ造の工場「紅磚六合院」で樟脳の製造を開始した。
その工場跡地は今どうなっているのだろう。もう壊されてしまったのだろうか。
友人は用事があると言って先に帰り、一人で散策を続ける。11時になってお店も開き出しお客もどんどん増えてきた。
大きな建物は映画館やイベントスペースに、中ぐらいの建物はアートスペースやショールームや複合ショップに。
こじんまりした建物は単体のショップや飲食店に。
ヤドカリが自分の体に合った貝殻をうまく見つけるように、それぞれの建物ごとのスケール感や質感に見事に
フィットした用途で使われていて何とも気持ちいい。
「文化創意産業園区」なので、既存のアパレル店やチェーン飲食店などはいっさい入っていない。
すべて店主個人の感性が伝わってくるような創作的で個性的な店であり、若い人たちの意欲とパワーが溢れ出している。
お客も台湾人のほか私のような外国人観光客もかなり多い。街歩きに便利そうなリュックを衝動買いしてしまった。
建物の一部に残っていた古いタイル。ここは研究所か何かだったのだろうか。
まだまだ使われていない建物もたくさんあって、こちらも鋭意工事中。さて次は何ができるのだろうか。
使えるところから使いはじめ、必要になったときに、新たなエリアの改修に着手して使っていく。無理のない
計画で、時間をかけて賑わいを作り出していく。台湾はこういう産業遺産の活用が本当にうまいなぁ。
観光案内所になっている建物のアーチ型の大きな窓。立ち入り禁止となっている2階への階段がカッコイイ!!
さて、樟脳工場のあったあたりへ行ってみよう。
続く。