横浜の続き。
ホテルニューグランドを出て山下公園沿いに歩いて行く。山下公園は関東大震災のがれき処分場だったのか。
山下公園の一角にあずまやみたいな、異国情緒あふれる小さなドームがあった。
「インド水塔」。ははぁなるほど、インド風。しかしなぜインド??
検索してみると、関東大震災で被災したインド人の救済に尽力した横浜市民への感謝を込めて、在日インド人協会が
1939(昭和14)年に建立したものだとか。国際貿易港、横浜にはインド人も大勢住んでいたであろう。
これは日印友好の証だったのだな。
ドームの内側にはガラスのモザイク。美しい~
インド人協会が建てたものだが、実際の設計は横浜市の建築課長、鷲巣昌だという。
そしてこちら、タイル友の会メンバーおすすめのジャパンエキスプレスビル。山下公園の方から歩いてくると
ちょうどT字路の正面に建つアイストップ的な建物だ。ジャパンエキスプレスは、船客送迎や移民乗船斡旋などを
行う会社だった。右へ行けば海の玄関口横浜大桟橋があり、人や物が行き交う活気に満ち満ちた場所だっただろう。
中央に階段ホールを配し左右対称。窓を切り取るように囲んだテラコッタ色の帯は角を越えて側面まで連続する。
壁は帯と同系の薄い色、帯で囲んだ窓周りにはアイスグレーの二丁掛タイルが使われている。
1930(昭和5)年築、設計は川崎鉄三。
オフィスビルらしい階段ホールを兼ねた小さなエントランスの床に、外壁とイメージを合わせた色合いの
無釉モザイクタイルが敷き詰められていた。縁のテラコッタ色がくっきり際立つ。
階段の人研ぎの手すりもまたモダニズムなデザインでいいね!
2階へ上がってみてもいい?
階段の踊り場の窓から舗道が見えた。何てカッコイイの~~!ここほんとに日本!?
2階の洋服屋さんのドアが開いていたのでちょっと覗きこむも、すごくオシャレな店なので気後れしていたが(苦笑)
お兄さんが出てきてどうぞどうぞと言ってくれたので、古い建物を見て歩いていてと話したら、そのお兄さんも
結構好きみたいで気さくにいろいろ話を聞かせてくださった。
このビルの歴史を感じさせる古い内装をそのまま生かしているとのことで、床板も当時のまま、補修跡も
あえてそのままに使っているという。ある時、昔この会社で働いていた人が店に来て、当時のままの天井や床の
傷を見て大変懐かしがっておられたとか。
このビルが伝えてきた物語を大事に思ってくれる店主さんに使ってもらって、建物の魅力が最大限に生かされた
素敵なお店になって、ビルも本望だろうな!
→BLAUBERG an der KÜSTE
この近くのおすすめを教えてくれたり、記念写真を撮ってくれたり、いろいろ親切にしてくださって、
時間があれば商品をゆっくり見てお買い物したり、もう少しお話ししたかったのだけど(イケメンだし笑)、
まだまだ後があるのでお礼を言っておいとまする。
隣の横浜貿易協会ビルもまた素敵。1929(昭和4)年築、角地に建ち通りに面して長く伸びる。
こういう民間の会社の小さなビルが立ち並ぶ風景は、ハイカラな港の空気を強く感じさせるな。
このスクラッチタイルのランダム具合は、コンピューターで作り出す乱数ではできない、何とも言えない味わい。
並びのこちらの昭和ビルもいいなぁ。昭和初期~10年ぐらいまでに、こういう全面スクラッチタイル貼りの
モダニズムの香り漂うビルがたくさん作られたのだ。明治の官製建築よりもこういう建物の方が惹かれる。
エントランスのこの雰囲気は新しく作ろうと思っても作れるものではないなぁ。
階段の壁にも布目タイルが・・・途中まで上ってみる。フレンチレストランェのようだ。
反対側のエントランスには八角形タイルが貼られている。こちらも上に飲食店が入っているな。
このビルは現在「海岸通壱番館」と呼ばれているようだが、あちらが「昭和ビル」、こちらが「並木ビル」と
二つの名が共存するビルだったようだ。1925(大正14)年築。
あとでこのビルのkaguyaという店でランチしたのだった。完全に建物で決めたが、ランチの内容もなかなか
GOODで、ボリュームもありおいしかった。
続く。
ホテルニューグランドを出て山下公園沿いに歩いて行く。山下公園は関東大震災のがれき処分場だったのか。
山下公園の一角にあずまやみたいな、異国情緒あふれる小さなドームがあった。
「インド水塔」。ははぁなるほど、インド風。しかしなぜインド??
検索してみると、関東大震災で被災したインド人の救済に尽力した横浜市民への感謝を込めて、在日インド人協会が
1939(昭和14)年に建立したものだとか。国際貿易港、横浜にはインド人も大勢住んでいたであろう。
これは日印友好の証だったのだな。
ドームの内側にはガラスのモザイク。美しい~
インド人協会が建てたものだが、実際の設計は横浜市の建築課長、鷲巣昌だという。
そしてこちら、タイル友の会メンバーおすすめのジャパンエキスプレスビル。山下公園の方から歩いてくると
ちょうどT字路の正面に建つアイストップ的な建物だ。ジャパンエキスプレスは、船客送迎や移民乗船斡旋などを
行う会社だった。右へ行けば海の玄関口横浜大桟橋があり、人や物が行き交う活気に満ち満ちた場所だっただろう。
中央に階段ホールを配し左右対称。窓を切り取るように囲んだテラコッタ色の帯は角を越えて側面まで連続する。
壁は帯と同系の薄い色、帯で囲んだ窓周りにはアイスグレーの二丁掛タイルが使われている。
1930(昭和5)年築、設計は川崎鉄三。
オフィスビルらしい階段ホールを兼ねた小さなエントランスの床に、外壁とイメージを合わせた色合いの
無釉モザイクタイルが敷き詰められていた。縁のテラコッタ色がくっきり際立つ。
階段の人研ぎの手すりもまたモダニズムなデザインでいいね!
2階へ上がってみてもいい?
階段の踊り場の窓から舗道が見えた。何てカッコイイの~~!ここほんとに日本!?
2階の洋服屋さんのドアが開いていたのでちょっと覗きこむも、すごくオシャレな店なので気後れしていたが(苦笑)
お兄さんが出てきてどうぞどうぞと言ってくれたので、古い建物を見て歩いていてと話したら、そのお兄さんも
結構好きみたいで気さくにいろいろ話を聞かせてくださった。
このビルの歴史を感じさせる古い内装をそのまま生かしているとのことで、床板も当時のまま、補修跡も
あえてそのままに使っているという。ある時、昔この会社で働いていた人が店に来て、当時のままの天井や床の
傷を見て大変懐かしがっておられたとか。
このビルが伝えてきた物語を大事に思ってくれる店主さんに使ってもらって、建物の魅力が最大限に生かされた
素敵なお店になって、ビルも本望だろうな!
→BLAUBERG an der KÜSTE
この近くのおすすめを教えてくれたり、記念写真を撮ってくれたり、いろいろ親切にしてくださって、
時間があれば商品をゆっくり見てお買い物したり、もう少しお話ししたかったのだけど(イケメンだし笑)、
まだまだ後があるのでお礼を言っておいとまする。
隣の横浜貿易協会ビルもまた素敵。1929(昭和4)年築、角地に建ち通りに面して長く伸びる。
こういう民間の会社の小さなビルが立ち並ぶ風景は、ハイカラな港の空気を強く感じさせるな。
このスクラッチタイルのランダム具合は、コンピューターで作り出す乱数ではできない、何とも言えない味わい。
並びのこちらの昭和ビルもいいなぁ。昭和初期~10年ぐらいまでに、こういう全面スクラッチタイル貼りの
モダニズムの香り漂うビルがたくさん作られたのだ。明治の官製建築よりもこういう建物の方が惹かれる。
エントランスのこの雰囲気は新しく作ろうと思っても作れるものではないなぁ。
階段の壁にも布目タイルが・・・途中まで上ってみる。フレンチレストランェのようだ。
反対側のエントランスには八角形タイルが貼られている。こちらも上に飲食店が入っているな。
このビルは現在「海岸通壱番館」と呼ばれているようだが、あちらが「昭和ビル」、こちらが「並木ビル」と
二つの名が共存するビルだったようだ。1925(大正14)年築。
あとでこのビルのkaguyaという店でランチしたのだった。完全に建物で決めたが、ランチの内容もなかなか
GOODで、ボリュームもありおいしかった。
続く。