函館の続き。
旧イギリス領事館を出て旧相馬邸にやって来た。今度こそ見学するぞ~
長い板塀に囲われた敷地の中に2階建ての主屋が建つ。純和風のむくり屋根の玄関の横に、
取ってつけたようにペパーミントグリーンに塗られた洋室がある。
玄関で傘をたたみ中へ入ると、、、内部の写真撮影は禁止と。ええ~~~っ、そうなの!?ガックリ。。。
ま、気を取り直して。。。準備されていた乾いた靴下に履き替え、係員のお姉さんの説明を聞きながら見学。
この邸宅は、坂の下にある相馬株式会社の創業者である相馬哲平の自邸であった。
初代相馬哲平はもともと越後出身で、函館へ渡り商人として働いてきたが、うまく時代の波に乗り一代で
北海道一の豪商となった。大火で消失した公会堂の再建や数々の公共事業に私財を投げ打ち、地元銀行の頭取、
貴族院議員にも就任して、函館の近代化の基礎を築き上げた人である。
洋館は客人のもてなしの空間として造られたもので、内部はやはりすごい!
中央の照明の台座と天井の四辺には何重ものモールディング、雷文のレリーフも施されている。
前庭に面した上下窓には、緻密なレリーフが施された木製のカーテンボックスがつき、たっぷりと
ドレープの取られたカーテンが下がっている。そして細いバーがぐるりと四面の壁に巡らされているのは、
寒い冬に防寒のために厚手の布を吊るしたのだとか。
八角形の窓は強烈なインパクトがある。そこには透明の型板ガラスがはまっているが、見たことのない
模様なので輸入品だろうか。この裏は廊下である。
そして大理石の暖炉の焚口の左右にはタイルが!部屋の手前1/3ぐらいまでしか立ち入れなかったので
あまり細かく見れなかったのだが、どうもプリントタイルのようだ。とは言っても今のものではなく
古いものと思われる。暖炉の前の床にはイギリス製と思われる色土タイルが四半貼りに。
床は壁際を除いてくすんだブルーの絨毯か敷かれているが、絨毯の厚み分床板を下げて周囲の寄せ木と
ツライチにしてある凝りよう。
隣室との境の扉には黄緑色のクリスタルの取っ手が。ウランガラスだ!はぁ~~、そうきたか!
和館の方も見どころが多い。廊下に面してしつらえられた流しには、何と湯沸し器がついている。
給茶機のような真鍮製のタンクの下に、炭火を入れる引き出しがあるのだ。お客が手を洗うときに
冷たい思いをしなくて済むようにとの配慮だとか。
そして八角形の窓を裏から見ながら廊下を進み、客用のトイレとお風呂を見に行く。
大便器、小便器共に青磁製で、小便器の方は内側に梅の木が描かれている。そして床にはタイルが
敷き詰められていた!1枚が16分割の市松模様になっていて、白と薄緑色のやわらかい色合い。
境界はふんわりしていてとってもカワイイ~~!新しいものではないと思うのだが、どうだろうか。
和館の座敷も高級木材が使用され緻密な細工が施された、ことごとく見事なものである。
奥の土蔵はギャラリーになっていて、歴史資料が展示されている。その中で特に見るべきものは、
昨日行ってきた江差の、ニシンで栄えたまちの様子や人々の暮らしがいきいきと描かれた「江差屏風」。
そして、「夷酋列像(複製)」。オリジナルは現在はフランスにあるが、許可を得て複製したものという。
和人とは異なる風貌の男たち11人は、アイヌの各村の長老であった。
本州の商人が蝦夷地へ次々進出し、北前船による貿易やニシン漁によってまちがどんどん繁栄した裏で、
原住のアイヌ人は和人から苛酷な扱いを受け続け、ついに蜂起したのだった。そしてその終息のために、
蜂起の指導者たちの処刑を受け入れなければならかったのだと・・・
絵の中の長老たちの精悍な顔を見ていると、そんな昔の出来事がリアルに伝わってくる。
函館大火の資料もあった。まるで空襲後のようにすべてが焼け落ちガランとしたまちなかの写真。
この相馬邸にも火が燃え移ったが奇跡的に消し止められたといい、黒こげになったまま残る小屋裏の
柱を覗くことができた。
内部の写真がないのは残念だが、とても充実した旧相馬邸の見学であった。
一時は放置され荒れてしまっていたこの建物を、再生してこのように公開されていることは
建築的にも、歴史・文化の面でも、観光の面でも、素晴らしいことだ。壊されなくて本当によかった!
→公式サイト
長居した相馬邸を出てさらにうろつく。もう暴風といえるほどの風で、しっかりしたビニール傘が
油断したら逆立ってしまうほど。雨も止む気配はない。こんな中を我ながらよく歩くなと(笑)。
南国みたいな壁の色!タイルと格子で飾られたカワイイ窓だなぁ。
高台に見えた洋館。基礎の石積みは手のひら大の玉石をチマチマ積み上げて固めてある。
木々に囲まれた青い屋根。「函館庵」と書かれたここは何?・・・どうも宗教施設のようだな。。
坂道を上って咬菜園跡を見に行く。箱館奉行から払い下げを受けた3770㎡もの土地で、各地の名花や
名木を集めた楽園のような場所だったらしい。
ふっくら石垣。かわいいなぁ!
おぉ、こちらの住宅も変わっている。通りに面した1階部分は、切石積みの基礎の上に細い格子窓と戸袋の
ついた町家風。しかし玄関側には台形の出窓、そして2階は白い壁に赤色で縁取られた縦長窓が並ぶ洋風意匠。
奥に建つ棟は平屋建てだが同じような白い板張りの壁に赤色の縁取り、緑青色の屋根とカラフル。
こちらは倉庫か作業場か・・・?
心臓破りの急坂の途中に建つ旧ロシア領事館。もしかして玄関が開いていたり、何かに転用され始めて
いやしないかと、吹き飛ばされそうになりながら見に来てみたが・・・あいかわらず玄関も門もしっかりと
閉ざされていた。
下手にあるお墓の方から、連続アーチの格子窓がちらりと見えた。・・・いつかこの中を見れる日が
くるのだろうか。
続く。
旧イギリス領事館を出て旧相馬邸にやって来た。今度こそ見学するぞ~
長い板塀に囲われた敷地の中に2階建ての主屋が建つ。純和風のむくり屋根の玄関の横に、
取ってつけたようにペパーミントグリーンに塗られた洋室がある。
玄関で傘をたたみ中へ入ると、、、内部の写真撮影は禁止と。ええ~~~っ、そうなの!?ガックリ。。。
ま、気を取り直して。。。準備されていた乾いた靴下に履き替え、係員のお姉さんの説明を聞きながら見学。
この邸宅は、坂の下にある相馬株式会社の創業者である相馬哲平の自邸であった。
初代相馬哲平はもともと越後出身で、函館へ渡り商人として働いてきたが、うまく時代の波に乗り一代で
北海道一の豪商となった。大火で消失した公会堂の再建や数々の公共事業に私財を投げ打ち、地元銀行の頭取、
貴族院議員にも就任して、函館の近代化の基礎を築き上げた人である。
洋館は客人のもてなしの空間として造られたもので、内部はやはりすごい!
中央の照明の台座と天井の四辺には何重ものモールディング、雷文のレリーフも施されている。
前庭に面した上下窓には、緻密なレリーフが施された木製のカーテンボックスがつき、たっぷりと
ドレープの取られたカーテンが下がっている。そして細いバーがぐるりと四面の壁に巡らされているのは、
寒い冬に防寒のために厚手の布を吊るしたのだとか。
八角形の窓は強烈なインパクトがある。そこには透明の型板ガラスがはまっているが、見たことのない
模様なので輸入品だろうか。この裏は廊下である。
そして大理石の暖炉の焚口の左右にはタイルが!部屋の手前1/3ぐらいまでしか立ち入れなかったので
あまり細かく見れなかったのだが、どうもプリントタイルのようだ。とは言っても今のものではなく
古いものと思われる。暖炉の前の床にはイギリス製と思われる色土タイルが四半貼りに。
床は壁際を除いてくすんだブルーの絨毯か敷かれているが、絨毯の厚み分床板を下げて周囲の寄せ木と
ツライチにしてある凝りよう。
隣室との境の扉には黄緑色のクリスタルの取っ手が。ウランガラスだ!はぁ~~、そうきたか!
和館の方も見どころが多い。廊下に面してしつらえられた流しには、何と湯沸し器がついている。
給茶機のような真鍮製のタンクの下に、炭火を入れる引き出しがあるのだ。お客が手を洗うときに
冷たい思いをしなくて済むようにとの配慮だとか。
そして八角形の窓を裏から見ながら廊下を進み、客用のトイレとお風呂を見に行く。
大便器、小便器共に青磁製で、小便器の方は内側に梅の木が描かれている。そして床にはタイルが
敷き詰められていた!1枚が16分割の市松模様になっていて、白と薄緑色のやわらかい色合い。
境界はふんわりしていてとってもカワイイ~~!新しいものではないと思うのだが、どうだろうか。
和館の座敷も高級木材が使用され緻密な細工が施された、ことごとく見事なものである。
奥の土蔵はギャラリーになっていて、歴史資料が展示されている。その中で特に見るべきものは、
昨日行ってきた江差の、ニシンで栄えたまちの様子や人々の暮らしがいきいきと描かれた「江差屏風」。
そして、「夷酋列像(複製)」。オリジナルは現在はフランスにあるが、許可を得て複製したものという。
和人とは異なる風貌の男たち11人は、アイヌの各村の長老であった。
本州の商人が蝦夷地へ次々進出し、北前船による貿易やニシン漁によってまちがどんどん繁栄した裏で、
原住のアイヌ人は和人から苛酷な扱いを受け続け、ついに蜂起したのだった。そしてその終息のために、
蜂起の指導者たちの処刑を受け入れなければならかったのだと・・・
絵の中の長老たちの精悍な顔を見ていると、そんな昔の出来事がリアルに伝わってくる。
函館大火の資料もあった。まるで空襲後のようにすべてが焼け落ちガランとしたまちなかの写真。
この相馬邸にも火が燃え移ったが奇跡的に消し止められたといい、黒こげになったまま残る小屋裏の
柱を覗くことができた。
内部の写真がないのは残念だが、とても充実した旧相馬邸の見学であった。
一時は放置され荒れてしまっていたこの建物を、再生してこのように公開されていることは
建築的にも、歴史・文化の面でも、観光の面でも、素晴らしいことだ。壊されなくて本当によかった!
→公式サイト
長居した相馬邸を出てさらにうろつく。もう暴風といえるほどの風で、しっかりしたビニール傘が
油断したら逆立ってしまうほど。雨も止む気配はない。こんな中を我ながらよく歩くなと(笑)。
南国みたいな壁の色!タイルと格子で飾られたカワイイ窓だなぁ。
高台に見えた洋館。基礎の石積みは手のひら大の玉石をチマチマ積み上げて固めてある。
木々に囲まれた青い屋根。「函館庵」と書かれたここは何?・・・どうも宗教施設のようだな。。
坂道を上って咬菜園跡を見に行く。箱館奉行から払い下げを受けた3770㎡もの土地で、各地の名花や
名木を集めた楽園のような場所だったらしい。
ふっくら石垣。かわいいなぁ!
おぉ、こちらの住宅も変わっている。通りに面した1階部分は、切石積みの基礎の上に細い格子窓と戸袋の
ついた町家風。しかし玄関側には台形の出窓、そして2階は白い壁に赤色で縁取られた縦長窓が並ぶ洋風意匠。
奥に建つ棟は平屋建てだが同じような白い板張りの壁に赤色の縁取り、緑青色の屋根とカラフル。
こちらは倉庫か作業場か・・・?
心臓破りの急坂の途中に建つ旧ロシア領事館。もしかして玄関が開いていたり、何かに転用され始めて
いやしないかと、吹き飛ばされそうになりながら見に来てみたが・・・あいかわらず玄関も門もしっかりと
閉ざされていた。
下手にあるお墓の方から、連続アーチの格子窓がちらりと見えた。・・・いつかこの中を見れる日が
くるのだろうか。
続く。