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Channel: まちかど逍遥
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天空の城、高取城

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GW前半に実家の母と兄と高取城へ行ってきた。
地元大好きで奈良県内はほぼ知り尽くしている母と兄だが、兄は珍しく行ったことがないという。
私は何かに写真が載ってたのをちらっと目にして、竹田城のような山城で石垣が残っていることを
知って見に行きたいと思っていたのだ。
しかしヘタレなので車で高取山の中腹まで上ってもらう。(頂上あたりまで車で行けるらしいが、さすがに・・・)

ハイキングコースの入口には五百羅漢がある。


五百羅漢ってなに??何も知らない私だったが、進んでいくと・・・うわぁ。


山肌の岩に、無数の人型が刻まれている。すごい!!
羅漢とは、仏道修行者の群れのことを言うらしい。しかし何か心霊写真みたい。。。
暗いところで見ると怖いだろうなぁ~~


見ていくと結構カワイイのもあったりする。

一人の人が彫ったのだろうか、何人かで協力したのだろうか。これだけの数を彫るのは大変な
労力だったに違いない。信仰の力というものだろう。

さて、高取城の入口である。地図を見るとかなり広範囲に広がっている。
こないだ行った豊後竹田の岡城跡と同じくらいの規模だろうか。

14世紀前半に土豪越智氏が築城したのが高取城の始まりといい、慶弔年間に豊臣秀長の家臣本田氏により
近世城郭として完成されたとか。その後譜代の植村氏が明治維新まで14代にわたり居城とした。
今はもう建造物はなく残るのは石垣のみだが、国の史跡となっている。

石垣が現れだした。下の方は家来などが住んでいた場所のようだ。


壺坂口門を入りうっそうとした木々の間を歩いていく。美しい石垣や木漏れ日を受けて光る草の葉を
見上げ、立ち止まっては写真を撮る。


大手門のところに解説板があった。高取城には天守閣があり、明治維新で廃城となった後も
明治20年ごろまでは残っていたのだとか。右が取り壊す直前の写真、左はCGでの復元。


写真と同じくらいの角度から見てみる。ここに天守閣が見えていたのかぁ。。。百年以上の時が流れ
木も大きく成長している。


直径は1.5mぐらい、高さは40mぐらいはあろうかというこの杉の木は、写真に写っているのと
同じ木だろうか。


大手門から入り二の丸へ。このあたりは石垣の上に平坦な土地が広がり、公園のような趣。
ここには藩主の屋敷や政庁があったのだ。


そしてこの高い石垣の上が本丸である。


足がすくむ高さ!!


本丸の崖っぷちのベンチでお弁当を。ここからはるか下のまちが見える。
標高583.61m、高取山の三角点があった。麓の城下町との高低差は400m以上とか。


高取城の石垣は、きれいに整形された石を規則正しく積んだものではなく、ゴツゴツした山の石を
不規則に積み上げてあるが、まったく崩れることなく美しい姿のまま保っており、素晴らしい安定感だ。


いや~、正直ここまで大規模とは思っていなかったし、こんな素晴らしい石垣が残っているなんて
驚くばかりだった。「天空の城」として近年有名になった竹田城、この高取城も霧が出たら
よく似た光景が見られるに違いない。


実家から車で30分ほどのこんな近いところに、こんなすごい城跡があったとは!
奈良に生まれてこのかた○十年知らなかった・・・

人もほとんどいないし、それほど歩かなくていいし(苦笑)、お手軽で、奈良県人には超おすすめ!
もちろん県外の人にも~~

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