豊後竹田続き。
時間が迫ってきたので、豊後竹田駅の北側あたりにある若宮井路笹無田石拱橋と鏡石拱橋はあきらめ
滝廉太郎の「荒城の月」のモデルになったという岡城跡へ行ってみることに。
ナビがないので看板などを見ながら行くのだがどうもよくわからず迷ってしまい、
まちなかをぐるぐる、人に聞いて、十字路で停まっては縮尺の小さい地図を眺めながら、
行くのにかなり苦労した。有名な観光スポットなのに、なんでこんな分かりにくいのか・・・
やっとのことで到着したらあと30分ぐらいしかない(汗)。案内図を見るとかなり広そうだ。
急いで坂道を上っていく途中に、こんな建物が。。。
「ペンション荒城の月」と書いてあるが営業している気配はなく、ちょっと謎めいて妖しげな香り。。。
岡城は1185年に築城されたと伝えられ、近世に岡藩主中川氏の居城となってから城郭を
現在の構成に整えていったという。現在は建物はなく石垣のみが残り、
その風情はまさに「兵どもが夢の跡」。
灰色の凝灰岩がみっしりと積まれた見事な石垣を見上げなが石段を上ったところが西の丸。
二つの尾根にまたがった形をしているが、西の丸は一番根元の部分であり平城的な様相。
そこから尾根の先端へ向かって行くにしたがい、三の丸、二の丸、本丸は平山城、一番先端部の
御廟は山城的となり、これらが一体となった構成の城は珍しいのだという。
これは三の丸あたりだったか、石垣の下は急峻な谷で、ここを敵が攻め上ってくるのは
全く不可能と思える。そして見晴らし抜群。お城に最適な場所だ。。
あぁ、しかしもう時間がない。。。先端の御廟まで行くのは諦めるとして、もう一方の尾根の
家老屋敷の方を回る順路をたどるのも無理っぽい。。。来た道を引き返して駐車場へ。
荒城の月のメロディが頭の中をぐるぐる回っている(笑)。
豊後竹田のまちなかには洋館はなかったが、こんなレンガの意匠の元商店が1軒。
○に谷の文字。何屋さんだったんだろうか。
さて、ここからまた特急に乗って臼杵へ行こう。臼杵は前回端折って行かずじまいだったところ。
臼杵では駅前のホテルニューうすきという安いビジネスホテルを取っていて、夜に食いっぱぐれるのも
ツラいので2食付で予約していた。あまり期待もしていなかったのだが、これがすごいボリュームで
地のものが食べられて、そしておいしかった!
翌日は朝から宿に荷物を預け駅のレンタサイクルを借りて町めぐりへGO!
時間が迫ってきたので、豊後竹田駅の北側あたりにある若宮井路笹無田石拱橋と鏡石拱橋はあきらめ
滝廉太郎の「荒城の月」のモデルになったという岡城跡へ行ってみることに。
ナビがないので看板などを見ながら行くのだがどうもよくわからず迷ってしまい、
まちなかをぐるぐる、人に聞いて、十字路で停まっては縮尺の小さい地図を眺めながら、
行くのにかなり苦労した。有名な観光スポットなのに、なんでこんな分かりにくいのか・・・
やっとのことで到着したらあと30分ぐらいしかない(汗)。案内図を見るとかなり広そうだ。
急いで坂道を上っていく途中に、こんな建物が。。。
「ペンション荒城の月」と書いてあるが営業している気配はなく、ちょっと謎めいて妖しげな香り。。。
岡城は1185年に築城されたと伝えられ、近世に岡藩主中川氏の居城となってから城郭を
現在の構成に整えていったという。現在は建物はなく石垣のみが残り、
その風情はまさに「兵どもが夢の跡」。
灰色の凝灰岩がみっしりと積まれた見事な石垣を見上げなが石段を上ったところが西の丸。
二つの尾根にまたがった形をしているが、西の丸は一番根元の部分であり平城的な様相。
そこから尾根の先端へ向かって行くにしたがい、三の丸、二の丸、本丸は平山城、一番先端部の
御廟は山城的となり、これらが一体となった構成の城は珍しいのだという。
これは三の丸あたりだったか、石垣の下は急峻な谷で、ここを敵が攻め上ってくるのは
全く不可能と思える。そして見晴らし抜群。お城に最適な場所だ。。
あぁ、しかしもう時間がない。。。先端の御廟まで行くのは諦めるとして、もう一方の尾根の
家老屋敷の方を回る順路をたどるのも無理っぽい。。。来た道を引き返して駐車場へ。
荒城の月のメロディが頭の中をぐるぐる回っている(笑)。
豊後竹田のまちなかには洋館はなかったが、こんなレンガの意匠の元商店が1軒。
○に谷の文字。何屋さんだったんだろうか。
さて、ここからまた特急に乗って臼杵へ行こう。臼杵は前回端折って行かずじまいだったところ。
臼杵では駅前のホテルニューうすきという安いビジネスホテルを取っていて、夜に食いっぱぐれるのも
ツラいので2食付で予約していた。あまり期待もしていなかったのだが、これがすごいボリュームで
地のものが食べられて、そしておいしかった!
翌日は朝から宿に荷物を預け駅のレンタサイクルを借りて町めぐりへGO!