長いことブログ更新をサボっていて、その間にもいろいろ行ってるのでいいかげん書かねば
忘れていってしまう・・・ということで、前回の佐田岬の翌週に行った東予旅から。
もう3ヶ月も経ってしまっているが(汗)。
金曜の夜大阪南港から出発したオレンジフェリーは、翌朝6:00に東予港に到着。
夜行バスと同じく早朝に放り出される感はちょっと寂しいのだが、港のターミナルには人がいて
バスも待機しているのでやはり安心感がある。
伊予西条や新居浜へ向かう連絡バスはなんと無料である。鉄道や飛行機、いや夜行バスに
対抗してのことだろう、涙ぐましいサービスではないか。。
1時間かけて到着した新居浜駅前はきれいなロータリーに駐車場、隣接地に建設中の文化施設。
ガランとだだっ広くて味気ないことこの上ない。駅前喫茶でモーニングでもと思っていたのだが、
駅併設のパン屋カフェの他は食べ物屋も商店も何にもない。真新しいスーパーがひとつ。
既存のまちから隔離された駅のつまらないこと。。。
植栽の擁壁や上屋の柱にカラミレンガが使われているのが救いで、鉱山の町であったまちの
記憶をわずかに語っている。
さて、マイントピア行のバスが8時15分発しかないのでカフェで1時間をつぶし、なんか
ダラダラした旅の幕開け。。。
バスに乗ったら意外と近くて、8時半すぎにマイントピアに到着。
施設もまだ開いてないので、この周辺の産業遺産を見て回ろう。
ここ端出場地区は、1930(昭和5)年から1973(昭和48)年の閉坑まで、
別子銅山の採鉱本部があった場所である。
真っ先に目に留まるのが川の対岸に建つレンガの旧水力発電所。1912(明治45)年完成。
落差597.18mは当時日本一を誇った水力発電所であり、海底ケーブル敷設により
四阪島精錬所への送電も担った。
内部には、運転開始時のドイツ製発電機や水車が残っているという。
あとからガイドのおっちゃんに聞いた話だが、先般の原発の停止を受けて、何と四国電力が
再稼働を一時模索していたらしい。老朽化しすぎていて最終的には断念したというが、
これを使おうとは、思い切ったことを考えるなぁ!
このトラス鉄橋は、鉱山の大動脈だった第四通洞へ降りてゆく鉱山鉄道の軌道跡。
第四通洞の坑口前で軌道がほぼ直角にクロスしていたらしい。
マイントピアの公式サイトに、現役の頃の写真が載っていて興味深い。
鉱山鉄道はこの端出場から山へ向かう上部鉄道とまちへ向かう下部鉄道から成っていた。
縦横無尽に敷設された鉱山鉄道のおかげで輸送は効率化し、産銅量は飛躍的に増加したのである。
向こうの谷間に見える赤い鉄橋は打除鉄橋(=芦谷川橋)。1893(明治26)年完成の
ドイツ製ボーストリング・ワーレントラス橋。ピン接合された曲弦が美しいフォルムを見せる。
向こう側に見えている坑口は中尾トンネル。
こちらでは観光鉄道としてトロッコ列車に乗れるようになっている。駅も再現され、
ホームにはかつて使われていた車両が展示されていた。
その先の鉱山観光エリアは元の鉱道を利用しているらしいが子供向けっぽいので入らず、、、
こちらは住友企業の旧接待館の賓客用玄関と特別室を移築した、泉寿亭。
1937(昭和12)年、新居浜の港近く、現在別子銅山記念図書館のある場所に建てられた。
一部とはいえ、ゆったりとられた空間や造りを見ると、産業隆盛期の余裕が感じられる。
ひっそり木々に隠れているが、駐車場の横にもスポットがある。
こちらは1919(大正8)年完成の端出場貯鉱庫跡。この上から鉱石運搬車が鉱石を
落とすようになっていたようだ。
これは川沿いに伸びていた下部鉄道の廃線跡だろう。
あとは資料館で映像を見たりボランティアガイドのおっちゃんと話したりして、
11時からの東平(とうなる)行きバスツアー出発までの2時間半をなんとか過ごす。。
実はマイントピアは産業遺産だけでなく、温浴施設、バーベキュー場、グラウンドゴルフ場など
あまり関係ない施設もあってちょっと鼻白むのだが、やはり大人の趣味だけでなく子供も
遊べるような施設でないとお客が来てくれないのだろう。悩ましいところである。
続く。
忘れていってしまう・・・ということで、前回の佐田岬の翌週に行った東予旅から。
もう3ヶ月も経ってしまっているが(汗)。
金曜の夜大阪南港から出発したオレンジフェリーは、翌朝6:00に東予港に到着。
夜行バスと同じく早朝に放り出される感はちょっと寂しいのだが、港のターミナルには人がいて
バスも待機しているのでやはり安心感がある。
伊予西条や新居浜へ向かう連絡バスはなんと無料である。鉄道や飛行機、いや夜行バスに
対抗してのことだろう、涙ぐましいサービスではないか。。
1時間かけて到着した新居浜駅前はきれいなロータリーに駐車場、隣接地に建設中の文化施設。
ガランとだだっ広くて味気ないことこの上ない。駅前喫茶でモーニングでもと思っていたのだが、
駅併設のパン屋カフェの他は食べ物屋も商店も何にもない。真新しいスーパーがひとつ。
既存のまちから隔離された駅のつまらないこと。。。
植栽の擁壁や上屋の柱にカラミレンガが使われているのが救いで、鉱山の町であったまちの
記憶をわずかに語っている。
さて、マイントピア行のバスが8時15分発しかないのでカフェで1時間をつぶし、なんか
ダラダラした旅の幕開け。。。
バスに乗ったら意外と近くて、8時半すぎにマイントピアに到着。
施設もまだ開いてないので、この周辺の産業遺産を見て回ろう。
ここ端出場地区は、1930(昭和5)年から1973(昭和48)年の閉坑まで、
別子銅山の採鉱本部があった場所である。
真っ先に目に留まるのが川の対岸に建つレンガの旧水力発電所。1912(明治45)年完成。
落差597.18mは当時日本一を誇った水力発電所であり、海底ケーブル敷設により
四阪島精錬所への送電も担った。
内部には、運転開始時のドイツ製発電機や水車が残っているという。
あとからガイドのおっちゃんに聞いた話だが、先般の原発の停止を受けて、何と四国電力が
再稼働を一時模索していたらしい。老朽化しすぎていて最終的には断念したというが、
これを使おうとは、思い切ったことを考えるなぁ!
このトラス鉄橋は、鉱山の大動脈だった第四通洞へ降りてゆく鉱山鉄道の軌道跡。
第四通洞の坑口前で軌道がほぼ直角にクロスしていたらしい。
マイントピアの公式サイトに、現役の頃の写真が載っていて興味深い。
鉱山鉄道はこの端出場から山へ向かう上部鉄道とまちへ向かう下部鉄道から成っていた。
縦横無尽に敷設された鉱山鉄道のおかげで輸送は効率化し、産銅量は飛躍的に増加したのである。
向こうの谷間に見える赤い鉄橋は打除鉄橋(=芦谷川橋)。1893(明治26)年完成の
ドイツ製ボーストリング・ワーレントラス橋。ピン接合された曲弦が美しいフォルムを見せる。
向こう側に見えている坑口は中尾トンネル。
こちらでは観光鉄道としてトロッコ列車に乗れるようになっている。駅も再現され、
ホームにはかつて使われていた車両が展示されていた。
その先の鉱山観光エリアは元の鉱道を利用しているらしいが子供向けっぽいので入らず、、、
こちらは住友企業の旧接待館の賓客用玄関と特別室を移築した、泉寿亭。
1937(昭和12)年、新居浜の港近く、現在別子銅山記念図書館のある場所に建てられた。
一部とはいえ、ゆったりとられた空間や造りを見ると、産業隆盛期の余裕が感じられる。
ひっそり木々に隠れているが、駐車場の横にもスポットがある。
こちらは1919(大正8)年完成の端出場貯鉱庫跡。この上から鉱石運搬車が鉱石を
落とすようになっていたようだ。
これは川沿いに伸びていた下部鉄道の廃線跡だろう。
あとは資料館で映像を見たりボランティアガイドのおっちゃんと話したりして、
11時からの東平(とうなる)行きバスツアー出発までの2時間半をなんとか過ごす。。
実はマイントピアは産業遺産だけでなく、温浴施設、バーベキュー場、グラウンドゴルフ場など
あまり関係ない施設もあってちょっと鼻白むのだが、やはり大人の趣味だけでなく子供も
遊べるような施設でないとお客が来てくれないのだろう。悩ましいところである。
続く。