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Channel: まちかど逍遥
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大阪セルロイド会館

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今月の洋館めぐり講座は東成区の今里にある大阪セルロイド会館


存在は知っていたが実際に見たのは初めて。これまで本などで見ていた印象よりも
ずいぶんきれいなのは近年外壁を塗り直したせいだろう。
この建物は西田勇という人の設計で1931(昭和6)年の築。
戦前大阪府営繕課に在職し北野中学や今宮中学などのモダニズム的建築を設計した人だという。
内部もかなり改修されているが、アール部分の階段は設計者の意図したイメージを今に伝えている。






西田勇はタイル使いの好きな人だったようで、この建物にも趣のあるタイルが各所に使われ、
竣工当時のものと思われるタイルがところどころに露出している。




北入口の扉周りに貼られた無釉の色土タイル。


サッシもほとんど交換されているが、南側壁面にある小さな丸窓の鉄製サッシはオリジナルだろう。
丸い輪に指をかけて押すとガラスが回転して開く構造である。


鉄板から切り出したような手作りっぽい造作。


資料室でこの建物の設計資料などを見せていただく。

この部屋のショーケースには懐かしいセルロイド製品の数々が展示されている。
そしてお話を伺ったところによると、あのセルロイドの原料は何と、綿(コットン)なのだ!
硝酸綿に樟脳と溶剤を加えて繊維を溶かして生地作るのだという。そうか、セルロースかぁ。


石油製品であるプラスチックが作られるまでは、このセルロイドが軽くカラフルな材質として、
金属製品やべっ甲の安価な代替品としても大いにもてはやされたのだ。

今里は「十河与三郎が大阪セルロイド、中谷岩次郎が中谷セルロイドを設立した場所」であり、
セルロイド関連の会社もたくさんあったという。

しかしセルロイドは燃えやすいのが弱点で密閉空間では自然発火することもあるらしい。
プラスチックにとって代わられ、セルロイド会社も合成樹脂や他の化学製品を作るようになった。

歴史あるダイセル(元・大日本セルロイド)堺工場もなくなってしまった。
時代の流れとはいえ、あのレンガ建築を近代化遺産としてもう少し残してほしかったなぁ。

しかしセルロイド産業が息づいていた今里のまちなかに、このセルロイド会館が残っていることは
とても有意義なことだ。

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