翌日は江田島へ行くべく朝から宇品港へ向かう。
前日は台風接近で雨予報にもかかわらず、よっぽど日頃の行いがいいのか(笑)結局夜まで
天気がもったが、さすがに今日は朝から雨。。。まぁ船は欠航していないから行くことにしよう。
港へ行く途中にもいくつかチェックポイントがあり、朝のうちに見れるところは見ておきたい。
車窓からちらりと見えた旧広島高等学校講堂(現広島大学附属中・高等学校講堂)。
ソテツの植栽が、新しく作られた渡り廊下の屋根を隠してくれている。
クリーム色のテラコッタによって飾られたファサードは堂々として学校の顔にふさわしい。
電車通り沿いの旧中国配電南部変電所。
ひさしまわりとパラペット部分にわずかにデザインが見られるものの、飾り気のない建物だが
ハードなイメージをうまく生かしたおしゃれなイタリアンのお店になっている。
前の2本の鉄塔も気の利いたアクセサリーと言ったところ。
入口を入ったところは吹き抜けのホール。2階の天井からチェーンがぶら下がっている!
上はスタジオらしいがこの時は使っていなかったので階段を上がらせてもらった。
上から見下ろしてもまたカッコイイ〜
変電所の建物のコンバージョンってあまり知らないが、こんなふうに使えるのか、と驚き。
店名の「Sottostazione」とは「変電所」という意味らしい。やるねぇ!
旧宇品警察署。こんな明治の木造建築が港に程近い吹きさらしの場所に建っているのは
何か残酷な気さえする。戦災はもちろんだが潮風にも耐えよく今まで残ったものだ。
広島水上警察署として1881(明治14)年に建てられて以来、警察各署、港湾関係事務所として
使い込まれ、ちょうど100年経った1981(昭和56)年に役割を終えて、以来空き家だとか。
小さいながらも凝った意匠が施された瀟洒な洋館は、港のランドマークとして人々に親しまれたことだろう。
このまま朽ちていきそうに思え、少しは補修してあげればいいのに、と思うが・・・予算がないのか。
さて広島港から高速船で江田島に渡る。旧海軍兵学校を見に行くのだ。
今は海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校である。施設内は海上自衛隊OBの方の案内で見学する。
この堂々たる建物は大講堂。さすが国の威信をかけた軍の建物、半端でないお金がかかっていそうだ。
最近手入れされたのか外壁の石材も新品と見まごうきれいさ。宇品警察署とは対照的である。
旧海軍兵学校生徒館(現幹部候補生学校)。ここで自衛隊のエリート教育が行われている。
朝から夕方まで泳ぎっぱなしという厳しい訓練も行われるそうだ。海難に遭ったときに
救助が来るまで生き延びるためと聞くと、命の危険と隣り合わせの世界なのだなと思う。
そして、教育参考館。
ここには特攻隊として戦地で亡くなられた若き兵士の遺書や遺品などが多数展示してある。
それらの遺書を読んでいくと涙が止まらない。悲しく、怖い気持ちを必死で隠しながらしたためられた、
残る家族への感謝、激励、自分を奮い立たせる誇らしい言葉。紙面には涙の跡も。
私よりずっと若い青年たちの命が、爆弾の起動装置として戦地に消えていった時代。異常であった。
平和ボケの現代の人々にこれを読んでほしいと思う。
建物を見に来た自分がなんだか不謹慎に思えてしまう場所だ。
雨はすっかり上がって夏の日差しが戻ってきた。
前日は台風接近で雨予報にもかかわらず、よっぽど日頃の行いがいいのか(笑)結局夜まで
天気がもったが、さすがに今日は朝から雨。。。まぁ船は欠航していないから行くことにしよう。
港へ行く途中にもいくつかチェックポイントがあり、朝のうちに見れるところは見ておきたい。
車窓からちらりと見えた旧広島高等学校講堂(現広島大学附属中・高等学校講堂)。
ソテツの植栽が、新しく作られた渡り廊下の屋根を隠してくれている。
クリーム色のテラコッタによって飾られたファサードは堂々として学校の顔にふさわしい。
電車通り沿いの旧中国配電南部変電所。
ひさしまわりとパラペット部分にわずかにデザインが見られるものの、飾り気のない建物だが
ハードなイメージをうまく生かしたおしゃれなイタリアンのお店になっている。
前の2本の鉄塔も気の利いたアクセサリーと言ったところ。
入口を入ったところは吹き抜けのホール。2階の天井からチェーンがぶら下がっている!
上はスタジオらしいがこの時は使っていなかったので階段を上がらせてもらった。
上から見下ろしてもまたカッコイイ〜
変電所の建物のコンバージョンってあまり知らないが、こんなふうに使えるのか、と驚き。
店名の「Sottostazione」とは「変電所」という意味らしい。やるねぇ!
旧宇品警察署。こんな明治の木造建築が港に程近い吹きさらしの場所に建っているのは
何か残酷な気さえする。戦災はもちろんだが潮風にも耐えよく今まで残ったものだ。
広島水上警察署として1881(明治14)年に建てられて以来、警察各署、港湾関係事務所として
使い込まれ、ちょうど100年経った1981(昭和56)年に役割を終えて、以来空き家だとか。
小さいながらも凝った意匠が施された瀟洒な洋館は、港のランドマークとして人々に親しまれたことだろう。
このまま朽ちていきそうに思え、少しは補修してあげればいいのに、と思うが・・・予算がないのか。
さて広島港から高速船で江田島に渡る。旧海軍兵学校を見に行くのだ。
今は海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校である。施設内は海上自衛隊OBの方の案内で見学する。
この堂々たる建物は大講堂。さすが国の威信をかけた軍の建物、半端でないお金がかかっていそうだ。
最近手入れされたのか外壁の石材も新品と見まごうきれいさ。宇品警察署とは対照的である。
旧海軍兵学校生徒館(現幹部候補生学校)。ここで自衛隊のエリート教育が行われている。
朝から夕方まで泳ぎっぱなしという厳しい訓練も行われるそうだ。海難に遭ったときに
救助が来るまで生き延びるためと聞くと、命の危険と隣り合わせの世界なのだなと思う。
そして、教育参考館。
ここには特攻隊として戦地で亡くなられた若き兵士の遺書や遺品などが多数展示してある。
それらの遺書を読んでいくと涙が止まらない。悲しく、怖い気持ちを必死で隠しながらしたためられた、
残る家族への感謝、激励、自分を奮い立たせる誇らしい言葉。紙面には涙の跡も。
私よりずっと若い青年たちの命が、爆弾の起動装置として戦地に消えていった時代。異常であった。
平和ボケの現代の人々にこれを読んでほしいと思う。
建物を見に来た自分がなんだか不謹慎に思えてしまう場所だ。
雨はすっかり上がって夏の日差しが戻ってきた。