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箱根の旅 大地のパワー!大涌谷

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箱根の続き。

富士屋ホテルをチェックアウト後、荷物を夕方まで預かってもらって、登山電車で大涌谷へ向かおう。
大涌谷は昔、勤めていた会社の社員旅行で確か行ったことがあるのだがあまり覚えておらず・・(汗)
私は地獄地帯大好きで雲仙や別府や栗野岳・・・などことあるごとに地獄の煙に巻かれに行っている(笑)
ここでも是非大地のパワーを感じたい。

登山電車は強羅まで。そこから早雲山までケーブルカーに乗り、さらにロープウェイに乗り換える。
1年以上続いた、火山活動による立入規制は7月に解除され、ロープウェイの大涌谷~早雲山も
再開している。


オフシーズンだと言っても、秋晴れの日曜日、強羅駅のケーブル乗換は人でごった返している。
多くは外国人観光客だ。タイミングをずらすためにも先に強羅でうろつこう。


強羅駅舎は大きな三角屋根のログハウス風の素敵な建物。箱根の山に登ってきた~♪という
気分が高まるね!

登山電車の終点でありケーブルカーの起点である強羅は、彫刻美術館や箱根美術館、強羅公園などがあり
文化的な香り。

強羅公園までの坂道をゼイゼイ言いながら上る(汗)。とても立派な石積みの門を持つ強羅公園は
1914(大正)年に造られた、日本初のフランス式整型庭園。急傾斜地にあるその構造は興味深いし
茶室や温室も見たかったのだが、今回は時間がないのでパス。ま、ここはなくならないだろうからね。
マイセンアンティーク美術館に行ったあと、公園下駅からケーブルに乗る。


来た来た!


早雲山駅でロープウェイに乗り換え。帰りにちょっと駅を出てみたけど道路しかなかった(苦笑)。


ロープウェイはふわっと空中に飛び出し、山も谷もひとっとび。すぐに箱根じゅうが見渡せる高さに。
定員いっぱい詰め込まれることなくゆったりなのでいいね!


二本のワイヤーにぶら下がったコンパートメントはぐんぐん上っていく。あの山の上が駅かな。
もうすぐ着くな・・・そんなふうに思いながら行く先を眺め、さぁいよいよ一番高いところに着く。
・・・ん?駅舎があるような雰囲気じゃないぞ、と思った瞬間・・・


目の前がガバーッと開けた!!うわぁ~~~~っ!!


ものすごく大きな谷のいちめん、痛々しいほど土がむき出しになっていて、いたるところから
湧き上がる煙が大きなかたまりになって視界をさえぎる。まさに大涌谷。いや~~~興奮!!


大涌谷は約3000年前に大規模な水蒸気爆発によりできた爆裂火口だという。地球の「生傷」という感じ。


地すべり対策の構造物が多数造られているが、とてつもなく巨大な地球のパワーの前には、
人間の力で造ったものなど到底かなわないように見える。


甲斐もなく騒いでしまった(苦笑)。このドラマチックな展開を狙ってロープウェイは作られたのか!?


大涌谷駅を出ると地獄地帯のど真ん中。よくこんなところに造ったなぁ。



黒たまごのモニュメントを見たら、昔来た記憶がうっすらとよみがえった。
名物黒たまご売り場はすごい行列。もう1軒はすでに売り切れ。
私たちは小田原の柳屋で買ったあんパンと同じく籠清で買ったゆで卵を包んだ黒いさつま揚げでランチ。
まわりから見ると名物の黒たまごを食べていると思われたに違いない(爆)

今はまだ閉鎖中だったが散策路もあるようだ。


もう2時になるというのに続々と人がやってくる。ロープウェイは16時が最終です、というアナウンスが
流れているが、今から来る人はそれまでに帰るんだろうか?いや帰るしかないだろう。
混雑に巻き込まれないうちに下りることにしよう。


早雲山駅に到着。ケーブルカーに乗り換え強羅まで。


続く

箱根の旅 強羅の洋館

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大涌谷からの続き。

今朝強羅に着いたとき、1軒チェックしていた近代建築、旧閑院宮別邸を見に行こうと駅前の
観光案内所に入ったところ、他にも洋館があるとの話。箱根マイセンアンティーク美術館というのがそれ。
昔は他にも洋館があったらしいがもうほとんど残っていないと案内所のおばちゃんが言っていた。
強羅公園の前からケーブルカーのガードをくぐって歩いて行くことに。

国民宿舎箱根太陽山荘。木造の2棟の建物が渡り廊下でつながっている。


徳利型の窓が。


10分ほど歩くとあたりはうっそうとした森になってきた。カーブを曲ると建物が見えた。おおっ!


もと日本銀行総裁、一萬田尚登氏の住まいだったものという。
サンドベージュ色の壁に赤い屋根がかわいい建物はスパニッシュの香り。窓まわりのアイアンや木製の
装飾は凝っている。ステンドグラスの模様はアールデコだな。これは中から見てみたい!


マイセン美術館の入場料は・・・1600円!?高っ。いや、好きな人には高くないのかもしれないが
マイセンを見るわけじゃないからなぁ。。。中にミュージアムショップやカフェでもあればと思って
聞いてみたが、中に入るには入場料を払ってもらわないと、ときっぱり。そりゃそうですね。。。




時間もあんまりないので、外回りだけでガマン。
側面にも大きな半円の窓やアーチ窓があって、なかなか密度が濃いな~



広い庭園も見どころらしい。ビフォーアフターで匠が手がけたらしいことが書いてあったが、どこを
どんな風に変えたんだろう。

バックヤード側の窓にも素敵なアイアンワークの面格子が。

内部も間違いなく見どころ満載だろうが・・・時間もそんなにないし、もうちょっと気軽に見れれば
いいんだけどなぁ。

一方閑院宮別邸は、強羅駅の下手にある強羅花壇というホテルの敷地内にあった。
登山電車の線路沿いの門から入り、坂を下っていくと素早く人が近寄ってきた。
ちょっと建物の外観を見たいとお願いして近くまで行くと、やっぱりすごいぞ!!


この建物は現在レストランとして使われており、ここでの食事は6千円~1万円ぐらいする。
ここでランチするのもアリだけど、それなら時間もゆっくり確保しておかなければもったいない。
今回は予定してなかったので、、、

インパクトの強いハーフティンバーの妻壁を正面に2つ並べたアシンメトリーなファサード。
縦長の窓にはステンドグラスがはまっている。

3箇所の柱がひさしを支える広い玄関もすっきりした印象。


玄関脇にもステンドグラスが。


コンパクトにバランスよくまとまった洋館は瀟洒で上品で、やっぱり格が違うなぁと思わせる。
次回はぜひここで食事をして内部も見てみたいなぁ!泊まるのはちょっと無理だけど・・


お客様を迎えるために前庭に5~6人の従業員の方が待機しておられるのを見ても高級宿であることは
分かっていたけど、ネット検索してみてやはり遠い世界であることを思い知らされた(汗)


続く。

箱根の旅 凾嶺で〆!

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強羅からの続き。

さて箱根に来たからにはもちろん温泉。冨士屋ホテルの浴場も雰囲気がよかったが、外湯にも
入りたいと思っていた。ホテルの目の前に「宮ノ下共同浴場太閤湯」というのがあって、朝から
偵察に行ったのだが、残念ながら10時から営業とのことで入れなかったのだった。。。

ほんとはこの日大涌谷から冨士屋ホテルに戻って館内ツアーに参加しようと言っていたのだが
(土曜日はツアー実施されない)、朝食をとった自然薯のお店から見えた赤い屋根の建物が「凾嶺」と
いう温泉だとわかって、電話してみたら予約制だということで、16時からで予約を入れておいた。


強羅から宮ノ下へタクシーで下るのが早い。乗ったタクシーの兄ちゃんに「凾嶺までお願いします」と
伝えると「あぁ、お風呂屋さんね」と。結構有名なんだな。
つづら折の急坂を下りながら兄ちゃんと会話したが、ひなびた感じの外湯はもうほとんどないそうだ。


10分もせず到着。ちょうど16時だ。素晴らしい(笑)
おぉ~~、「底倉温泉」という名にふさわしい、谷底へ下っていくようなこのロケーション、
そしてこの佇まい。いいねぇ!!
ちなみに、道路の上手にある「てのゆ」も底倉温泉という名を冠している。宮ノ下の富士屋ホテルから
500mほどしか離れていないがこのあたりは違う温泉なのだな。


うわぁ、堂々たる洋館じゃないの!今は立ち寄り湯専門というが、元は旅館をやっていたのだろうか?




玄関でお金を払い、上がろうと思ったら、温泉は外だと言う。えっ?外??


建物の横へ回るとさらに谷の方へ下る石段があり、その下に小さな建物があった。あれか?
ちょっと拍子抜け気味にアルミの引き戸をガラガラと開けて中へ入ってみると・・・


おぉ~~っ!谷に向かって開けたオープンエアーの浴槽がひとつ。まるで緑色のブラインドのような
竹やぶの間から川のちらちらと見える。最高じゃないの!!
お湯もちょうどいい温度ですべすべと気持ちいい。やっぱり宮ノ下温泉とはちょっと泉質が違うようだ。
道路からはかなり下なので全く気兼ねも要らず、貸切りでゆったり温泉を堪能した。


ちなみに、手前にあった建物もちらっと覗いてみたら、元は浴室だったようだ。造り替えたから不要に
なったのか、元は男女別で2つあったのをひとつ閉めたのか。


湯上りに建物内の椅子で休憩してもいいということだったので、ちょっと上がらせてもらう。
この階段まわりや休憩コーナーの雰囲気もすごくいい。
おかみさんにこの建物はもともと何だったのか聞いてみたら、病院だったとのこと。ははぁ、なるほど!


ドアの下に古い写真のコピーが掲げられており、それは凾嶺病院設立趣意書だった。
「景色がよく空気もよくて温泉があり療養するにはとても適した場所なのにそのような施設がないので
有志の尽力によって凾嶺病院を設立するに至った」というようなことが書かれていた。


設立趣意書には明治25年5月とあったが、今の建物は明治の築ではあるまい。
大正後期~昭和のはじめ頃に建て替えられたのだろう。


いや~、旅の最後にこんな温泉に入れて上々の〆となった。

預けておいた荷物を引き取りに富士屋ホテルに戻ったら、ちょうど館内ツアーが始まったところのようだ。
昨日館内すみずみ見て回ったし、まぁいいか。混まないうちに早めに小田原へ戻り悠々と帰路についた。

アジサイも紅葉もないオフシーズンだったけど、登山電車の車窓風景も楽しめたし、どこに行っても
行列することもなく思い通り動けて、ゆっくり、ゆったり満喫できた!

終わり。

2016.12.17~18 箱根の旅 もくじ

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建築めぐり講座でご一緒しているTさんと箱根へ。富士屋ホテルに泊まってきた。
安く行ける方法をあらゆる交通手段で検討し、片道だけ夜行バスで行こうかとも考えたのだが
4列シートはさすがにねぇ・・・結局往復新幹線で小田原まで。

小田原の建築めぐり その1
小田原の建築めぐり その2
小田原の建築めぐり その3
小田原の建築めぐり その4
箱根湯本をさらっとうろつく
カワイイ!箱根登山電車
冨士屋ホテルに泊まる
冨士屋ホテルのあちこち
冨士屋ホテルのトイレにて。
大地のパワー!大涌谷
強羅の洋館
凾嶺で〆!

1泊2日だけだったが、寄り道あり、計画変更ありで楽しい旅だった!
Tさんありがとう~

国東半島一周 大分空港から

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これまで大分県は別府、由布院、大分、中津、湯平、豊後竹田など、幾度となく訪れたが、
空路で大分空港から入るのは、思えば初めてだ。
ジェットスターの関空~大分便が短命でなくなってしまったことと、大分空港から現地のアクセスが
不便なので、今まで敬遠していたのだった。しかし、今や車の運転に慣れ、レンタカーも使いこなして
怖いものなし!?そしてふっこう割でJALのツアーを安く取れた。
・・・ということで、初の大分空港入りとなったのである。


周防灘にほぼ円形に突き出している国東半島の南東に大分空港はある。小さな空港だが
南国に来たようにまわりが広々して明るい。う~ん、いいねぇ!朝っぱらから気分上々!
まだ8時すぎ。レンタカーを借りて出発~
実は今回、温泉をハシゴしようかな~というぐらいで他は何にも決めてない。とりあえず、国東半島を
反時計回りに一周しよう!

形から明らかだが国東半島は火山で裾野がきれいに広がっている。阿蘇や霧島の高原を
走っているように、見晴らし良く車も多くなく、道もいい。まだ海は出てこないが、日本の美しい里の
風景を楽しみながら鼻歌まじりの快適ドライブ!お天気もよく最高~♪

おっ、あれは何だ!?車を停めて見に行こう。


おぉ、立派な洋館だ。田んぼの広がる集落の片隅にポツリと建っているなんて、どういう建物だろう。
古くからの地主さん宅だろうか。


しかし、すごい逆光・・・


いきなり洋館に出合えるなんて、幸先がいいな(笑)


漁港があったら寄り道し、道の駅に寄り道し、こういう完全に気ままな旅もいいなぁ。


おおーっと、かわいい港が。ストップ!!


コンクリートの突堤の内側に小さな船溜まりがあり、そのこじんまりした空間だけでも魅力的なのだが、
そこを囲む石積みの突堤がえも言われぬ美しさなのだ!


柔らかな台形の断面を持つ突堤は総石積みで、しかも整形されていない自然石の野面積み。
そして見る限りコンクリート目地などは入っておらず、作られたそのまんま、なのだ。


そしてまた石がいいじゃないの!火山性の赤~紫がかった色が特徴的でゴツゴツと有機的な質感。


石と石の間に土が入り草が生えているのも愛らしい。


いやぁ~素敵だねぇ~!素敵だよ~!君たち!


先端まで歩いて行ってみる。もやい石まで残っていて、しかも日々使われているっぽい。もう感激!!


こんな名もなき小さな船溜まりで、もうすっかり満足してしまった(笑)


続く。

国東半島一周 2つのフェリー港風景

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国東半島の続き。

先へ進もう。
おっ、あれは船乗り場じゃないの?ここからどこへ渡れるんだろう。


スオーナダフェリー。なになに、えっ、国東航路を一時休航??しかしこの看板自体相当古そうだぞ。
もうずいぶん前にこの国東港からフェリーは発着しなくなったということか。。。残念だなぁ。

広々した駐車場はがらんとしてこの上なく寂しい。。。締め切られたスロープの横の岸壁では数人の
おっちゃんが釣りに興じていた。

とりあえずナビに設定しておいた「国見ふるさと展示館」という施設にやってきた。
幕末期の総代庄屋の住宅、旧有永邸が公開されているようだ。明治初期~中期に建てられた
主屋、離れ、蔵、馬屋の4つが残っているようで、有料でも入ってみようと思ったのだが・・・


入口を開けて「すみませ~ん」と何度か呼んでみたが誰も出てこない。
すぐ横の展示室は覗けたがふすまが全部閉まっていて順路もわからないしお金を払わず上がりこむのもなぁ。。。
めんどくさくなって、もういいや、と次へ行くことに。


フェリーのりばという案内板に導かれ、外周道路から外れて10分ほど走ると、竹田津港に出た。


おお、ここは現役の港だ!


スオーナダフェリー。さっき国東港の看板に問い合わせ先として書かれていた「竹田津営業所」は
ここのことだったんだな。


おぉ、ここから徳山まで渡れるんだな。1日に往復それぞれ5便もあるとは、結構多い。
前にネットで調べたことがあったが、実際に港に来てみると、生きた航路なんだとうれしくなる。

しかし、「周防灘」を「スオーナダ」と書くだけでなんとなく異国の響きになるなぁ(笑)

今はレンタカーで来たからいいが、ここまでの公共交通機関があるのだろうか。
聞いてみると路線バスがあるというが連絡しているのは2便だけで、それも港で30分ほど待つ必要がある。
徳山は駅のすぐ前にフェリー乗り場があったから大丈夫だろうが、こちら側が問題だ。
バスのある便にうまくスケジュールを合わせてルートが組めるか・・・また考えてみよう。


ここからフェリーに乗り込める日が来るかな。。。


港を散策してみる。ん、これは何だ?


タコツボか!樹脂製のタコツボはよくあるが、ここのは四角いんだな。
まじまじと見ていたら、釣りに来ていたらしいコワモテの兄ちゃんが、この扉を開けて海に沈めておいて
蛸がえさに食いついたら自動で扉が閉まるのだと教えてくれた。へぇ~、ネズミ捕りみたいだ(笑)。


港の裏の防波堤も石積みだ。あぁ、天気がよくてほんとに気持ちいいなぁ!!

この港に住み着いているらしいネコが本気のケンカを始めた。。。ひぇ~~

続く。

国東半島一周 夷谷温泉と海門温泉

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国東半島の続き。

国東半島にももちろん、九州温泉道八十八湯めぐりの温泉がある。そのひとつ、夷谷温泉を目指して
半島の中心部へ向かう谷筋の道を上っていく。沿道の美しく手入れされたゆるやかな棚田を見ると、
日本人の勤勉さや繊細さが思い起こされ、日本人でよかったとつくづく思う。

国東半島のピーク、両子山は火山であり、裾野はなだらかだが中央部ではこんな険しい岩が
いたるところでそそり立ち、耶馬溪とそっくりの異様な景観を見せる。
夷谷温泉の近くは夷耶馬(えびすやば)と呼ばれる。


巨大な岩が何かのはずみで崩れやしないかと、心の中でちょっとハラハラしながら走り
ようやく夷谷温泉にやってきた。


人里離れた山あいの素敵なロケーション。


温泉自体は割と新しくきれいな建物。シンプルで変に狙ったところもなく好感の持てる建物なのだが
このロケーションからひなびた掘っ立て小屋であってほしかったという思いが強く、後から見たら
温泉の建物の写真を一枚も撮っていなかった(苦笑)。→こんなの

しかし塩分を含んだお湯はとても気持ちよく、露天風呂もあって楽しめた。

温泉の周りは公園のように少し整備されているが、その一角にこんな石橋もあった。貴船橋。
今は水が枯れた小さな谷川にかかるアーチだけの石橋。移設されたものではなく元からここにあったようだ。


もとは壁石が上まであったのがめくれてしまったのだろうか。それとも元からこういうもの?
普通は横からしか見えない輪石が露出していることで構造がよく分かる。
何となく橋の幅の長さの石を一本ずつ並べているのかと思っていたが、必ずしもひと続きの一本で
なくてもいいようだ。


アーチは本当にこれだけの単純な構造でびくともせず、石の表面がすり減るほど長い間人々に踏まれ
使われてきたのだ。


さてここからまた山を下り、八十八湯めぐりに今年からラインナップされた海門温泉へやってきた。
海ぎわの集落の細い道に入りこみとても温泉がありそうに思えないところにあった。


かつては旅館だったそうだが、今は温泉のみとのこと。分かりにくい場所にも関わらず
スタンプを集めにお客さんは結構来るという。

ブレブレ写真(汗)

気さくなおかみさんが、どうぞどうぞ、ごゆっくり、と案内して下さった。


浴室はそれほど古くもなく特に味わいもなくそっけないもので、薄暗い中に小さな四角い浴槽がひとつ。
塩分を多く含んだ濃厚な泉質でマニアが絶賛とか書いてあったが、まぁ確かに見た目も濃そうではある。
正直、私はぺたぺたするので塩湯はそれほど好きではないのだが・・・


うわっ・・・これは・・・気持ちいい・・・!!
体がお湯と一体化してしまう感覚。。。湯温が体温とちょうど同じくらいなのだ。
それに塩分濃度も、人の体と全く同じなのだろうか、ふわ~~っとお湯の中に浮遊する。
じっとしていると浴槽の底につかず浮かび上がりもせず、呼吸によってわずかに上下するのみ。
薄暗くて誰もいなくて静かな浴室の中で一人、死んだようにお湯の中に漂っていた。。。至福の極み(笑)


続く。

国東半島一周 豊後高田の近代建築

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国東半島の続き。

さて、国東半島最大のまち、豊後高田にも寄り道しよう。
豊後高田は江戸時代から海上交通の要所であった。昭和30年代まで栄えたあと時代に取り残された
地方の田舎まちであるが、それを逆手に取って「昭和のまち」として売り出している。
古くさい、時代遅れのものも50年経てば「レトロ」となり、まちおこしの資産になる。
そういうコンセプトでやっているところは日本中多々あるだろうが、ここは成功していると見える。
広い駐車場には観光バスが乗りつけ、旧高田農業倉庫をリノベーションした拠点施設、昭和ロマン蔵には
大勢の家族連れの客が出入りしていた。


昭和ロマン蔵だけでも結構広くて子供たちが遊ぶネタには事欠かないだろうが、大人は町の散策に繰り出す。
「駅通り商店街」のアーチ。


「駅」?と思ったら、1965(昭和40)年まで宇佐参宮鉄道の豊後高田駅があったそうだ。
文字通り、宇佐神宮への参拝客向けに造られた鉄道で、1916(大正5)年に豊後高田~宇佐八幡間
全線が開通した。この鉄道の起点になっていることからも、豊後高田が瀬戸内海からの九州の玄関口で
あったことが分かる。

駅跡は今はバスターミナルとなっている。

商店街は古さを演出している店もあるがリアルに古い店も多く、昭和のまちとして売り出している
だけのことはある(笑)。しかしリアルに古い店は商売としては売れてるんだろうか(苦笑)


町家の外壁で時々見かけるタイル風化粧鉄板、こんなスクラッチタイル版は初めて見たな。


昭和30年代レトロだけでなく近代建築もある。旧共同野村銀行。
1933(昭和8)年に豊後高田の豪商、野村礼次郎によって建てられたと言われている。
今は「ホテル清照別館」ということだがここに泊まれるわけではない。


オーナーの大分石油株式会社のご好意により一般公開されている。もちろん入ってみる。
お金に関する展示や大分の石仏の展示などがあって無料で見ることができる。


うわぁ!!壁の腰貼りタイルがいいじゃないの!布目模様に吹き寄せ格子状の溝をつけた二丁掛
サイズのタイルは山茶窯っぽい色合い。


これがエントランスから室内ぐるりと張り巡らされているのは壮観!


なんと、端の役物タイルにまで同じ模様が少し縮小されて施されている。


銀行らしく吹き抜けになっていて二階には申し訳程度の回廊も巡らされている。上へはハシゴで上るらしい。


奥には金庫室もあった。元は別棟になっていたのを後年つなげたとか。
この中には現オーナーさんのお宝が展示されていた。閉館時にはこの分厚い扉も閉めておくのだろう。


係の女性がいろいろと親切に案内してくれた。ありがとう~


さて、こちらの「昭和の町展示館」の建物も元銀行である。旧大分合同銀行、その後高田信用組合として
使用されたという。町家風の造りでさっきの共同野村銀行よりも古そうだが、1933(昭和8)年と
いうので同じじゃないか!


1階の軒下には四半円弧の持ち送りが並び特徴づけている。二階のガラス窓ごしにアーチが見えている。
内部は吹き抜けになっていて、このアーチの高窓から明かりが入るというのだが、もう夕方近いため
閉館してしまったようだ。残念。


橋のたもとに建つアルフォンソというパン屋さん。こちらもまたまた銀行建築、旧共立高田銀行。
しかしこの商店街に3つも銀行があったとは驚く。


おいしそうなパンが売っていたので一つ買ってお店の方と少し話すと、先の地震では内側の壁の土が
はがれて落ちてしまったのだとか。貴重なレンガの建物もやはり維持が大変だ。

ここ実は結構有名なパン屋なんだとか。

あっ、これは!お風呂屋だ。寿湯。今もやっているのだろうか。


もう16時だが暖簾は出ていない。ドアにはまったすりガラスの向こうに、何やらモノがいろいろ
置いてある影が映っているのを見ると、もうやっていないのかもしれないな。
ガラスに貼ってある紙を見に行くと、なになに、「パソコン修理・販売・教室」・・・と。


正面がバスターミナル。こうして見れば確かに駅だった雰囲気があるな!


続く。

国東半島一周 四の湯温泉と赤松温泉

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国東半島の続き。

今夜の宿は別府。せっかくだから国東半島内で泊まればいいのだが、別府でも車で行きたい温泉が
あるので、車があるときに行こうという目論見もあり。
しかし・・・豊後高田から別府は結構遠い(汗)。夕方が近づいて眠くなってくるし、やはり長距離の
運転は辛いな。。

おや、あれは・・・赤松眼鏡橋と書いてあったのはここか!


別府へ向かう国道10号はかなり交通量が多く、車を停める場所が分からずアワアワしていたら通り過ぎ、
Uターンしてまた通り過ぎ、3回目でやっと駐車場の入口が分かって無事入ることができた(笑)


端正な石の欄干。親柱に刻まれた文字は、明治三十・・・年?九月成?かな?


大きなアーチを支える中央の橋脚もまた石積みで、どっしりとして安定感がある。


あっちから、こっちから、道路から、いろんな角度から眺めて、黄昏の石橋風景を堪能した。


日出あたりで眼下に別府湾が広がる。写真を撮りたいけど・・・止まれない(汗)
さぁ、真っ暗になってしまう前に、別府へ急ごう。


港のほど近くの宿にチェックインしてから再び車に乗って出かける。行きたかった温泉のひとつ、
四の湯温泉へ。
ずっと前に亀陽泉に入った直後ここを見つけたのだが、さすがに連続ではしんどかったので、惹かれつつも
その時は入らなかったのだった。ようやくリベンジ。


別府でも亀川温泉は比較的地味で、その中でもこんな住宅地の公園の横にある温泉などあまり観光客に
知られていないんじゃないかと思うが、前回ここから出てきた兄ちゃんが、八十八湯めぐりに
載ってるから結構有名ですよと言っていて、そういうスタンプラリーがあるということをそのとき
初めて知ったのだった。まぁ、私がスタンプを集めだしたのはその後もだいぶ経ってからなのだが。


う~~ん、いいねぇ!このジモ専っぽさが魅力!前回と何も変わることなくやっていてくれてよかった!


お湯はくせがなく毎日お風呂として入るのにはこういう温泉がいいね!
ゆっくり浸かって長時間ドライブの疲れを流した。・・・って、途中途中でも流しまくってるけどね(笑)


さて翌日は、昨日のあの爽やかな晴天から打って変わって朝から本降りの雨(涙)。
別府でいくつか車で行きたい温泉があったのだが、今より遠い方向へ走るのが面倒になって
再び国東半島方面へ戻ることに。他にも狙っている温泉がある。そのひとつがこの赤松温泉。
ハーモニーランドのほど近く、ロードサイドの土取り場か資材置き場のようなだだっ広い駐車場の奥、
黄色いテントが見えた。


えっ、これ??場末のゲームセンターみたいな雰囲気だな。横の雑然とした小屋でおっちゃん二人が
タバコを吸っていて、殺伐とした雰囲気にさすがにちょっとひるみそうになったが(苦笑)
入れますか?と聞くと、どうぞ、ということなのでお金を払って中へ入る。


うわぁ・・・これは温室だ!ビニールテントの中は湿度100%以上じゃないか!?
岩で組まれた不定形の浴槽が4つか5つ。温度が違うようだが、すごい、トロトロですべすべだ。
寝転がるようにして浸かる。

屋根のテントを打つ雨の音がすごい。世界が水浸しになるんじゃないかと思うほどの雨は
テントの隙間からも入ってくる。そして湿度もすごい。もう水気から逃げられない気がして
ちょっと恐怖を感じてきた(汗)。乾いたタオルのありがたみ。。。

続く。

国東半島一周 山香あたりのまちなみ

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国東半島の続き。

赤松温泉
を出て少し走ると日豊本線と並行する。幹線にもかかわらずローカル風情漂う線路を追いかけながら
走るのは楽しいね!このあたり古い木造駅舎がないかと検索してみたが、ないようだ。残念。。。

もう一軒行きたい温泉、山香温泉センターを見に行こうとしたら、その手前に中山香駅があるようなので
一応経由して見ていこう。少し細い道へ入り踏み切りを渡ったら、古そうな建物を発見!


木造モルタル塗だが縦長窓が洋館を意識して造られたことを語っている。


角部分の入口ドアには「山香町農業協同組合中支所」と書かれていた。ああやっぱりそうだな。


古い農業倉庫も3棟ぐらいあったが、ガランとして人の気配もないのは休日だからだろうか。
雨に濡れて湿っぽく現役感は感じられなかった。


中山香駅舎はやはり木造でもなく特にどうってことなかったが、駅の正面に古い食堂と旅館が!


「千鳥食堂」「旅館千鳥荘」と金泥で書かれたガラス戸はとても味わいがあって惹かれるが、
カーテンが締め切られ「売地・貸地」のデカイ看板が貼られている。あぁ、もう廃業してしまったのか。。。




駅前の土産物屋や喫茶店ももうやっていないようで。。。寂しいなぁ。
ちょっと車を停めて歩いてみたが、駅前通りには賑わっていた時代の名残が感じられた。
駅前に旅館があるのはビジネス客が来ていたということだろう。




タクシー会社は今も営業しているようだ。


ここはお酒の醸造所だろうか、酒屋の倉庫だろうか。


そう言えば山香はお米の産地だ。前に別府の明礬温泉の岡本屋で食べたごはんがおいしくて、聞いたら
山香のお米だと言われていたな。(まだアップしてなかった・・・汗)


めあての山香温泉センターに行ってみたら、14:00からしか開かないらしい。えーっ、残念。。。

しかし、あとでもう一度このあたりを通ったので入ることができたのだった。
隠れた名泉と呼ばれているのも納得の、塩分と鉄分を含んだ濃い~お湯。

さて、ここから安心院(あじむ)へ行ってみよう。


続く。

国東半島一周 安心院の鏝絵

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山香からの続き。

安心院までは途中から高速道路に乗れば早かったのだが、ほぼ並行して下道があるしと思って
高速代をケチったらかなり細いくねくねの山道で、崖崩れがあったら1日気づかれないんじゃないかと
いう心細さを感じながら走るはめに。。。
安心院は鏝絵が有名だと聞いていた。行ってみると観光用の駐車場も整備されていた。
車を置いて歩いてみよう。雨はまだまだ降っている。


安心院の鏝絵は古いものもあるが、現代の作家さんが製作した新しいものもたくさんあり、
設置先の商売に合わせてユーモアあふれるモチーフで作られている。
古いものも、元々ついていた建物を取り壊すときに保護して移設したものもあり、修復されている
ようなので正直パッと見では古いものか新しいものか分からない。

例えばこれは古く明治20年代に作られたもので、移設品である。
上の写真のは新しく平成14年に作られたもの。印刷屋さんなのでペンとインクが描かれている。

縣屋酒造の古い建物。迫力ある木彫りの持ち送り。


その向かいは、安心院の豪商だった重松家住宅。さすが、まちで一番立派な鏝絵スポットだ。
外壁いちめんに富士山が描かれている。大胆!!これは鏝絵なのかどうかは・・・?


その上には望楼のような2階があり、戸袋にも鮮やかな鏝絵が。いずれも彩色はし直されていると見える。




丸窓の周りにベンガラで描かれた雷文風の模様が。


重松家は建物の一般公開はしておらず外から見るのみ。この石垣も素敵だな!
下は亀甲、上は四角の切石積み。積み方が切り替わる部分は五角形の石が使われているのが面白い。


苔がみっしりついてまるで青石のよう。


まちなかを水路が巡っており、庭先にこんな水場を持つ家もある。湧き水か川の水かは分からないが
野菜や道具の土を落としたりするのに使っていると見える。同じく鏝絵を見に行った琴浦の光集落にも
そっくりの水場があったな。


こちらも水路の一部が開渠となった水場。


水路で鯉を飼っているところもある。


こちらも古い鏝絵の移設品。明治20年代の戸袋。


昭和初年に作られた招き猫。


賀来家住宅の妻壁には明治20年代に作られた鏝絵が。やっぱりオリジナルの位置にあるのがいいなぁ。
古い鏝絵は主に「高吉」と「長野鉄蔵(鉄は旧字)」という人により製作されたものが多く、
不明なものもある。これは高吉さん作。


「鏝絵とはなんですか」と題された説明板の説明の一番最後に、「(鏝絵は鰻絵 うなぎ絵 ではありません」
と書かれていて笑ってしまった。


見ての通り、散髪屋の鏝絵。新しい鏝絵は3名の作家の名が見られた。
新しいものも伝統的な材料や技法で作っているようなので、年月が経てば遺産になるだろう。

ぐるっとまちを一周して見終わった頃、気づいたら雨が止んでいた。

続く。

国東半島一周 田染荘と三宮の景

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安心院からの続き。

安心院から国東半島の方へ戻りつつ、田染荘(たしぶのしょう)へ行ってみよう。
中世荘園の姿を今にとどめているという美しい水田の写真が印象に残っていたのだ。
「田染荘⇒」という案内板が出ていたのだが、行けども行けどもたどり着かず・・・
すごく大回りさせられたような(汗)。ようやく道の駅みたいな建物があるところへ到着した。


案内所のようだがもう閉まっていて、何やらイベントの準備か打合せで集まっていた人々が
ちょうど解散するところだったので、一人の兄ちゃんに聞いてみた。
「田染荘の風景を見るスポットはどこですか?」「ここの上かそこのあぜ道から見えますよ」

・・・周辺は確かに田んぼが広がっていてきれいなのだが、棚田が眼下に広がる写真
あるじゃないか、あんなふうにぱぁーっと一望したいんだよ。
「有名な写真の風景はどこで見られるんですか?」「あぁ、あれはあの岩の中腹から見たものです」
「えっ、あの上に?」「展望台があるんですよ」
あの正面に見える岩山の中腹って・・・ロッククライミングでもしないと上れないよ~~(汗)

あきらめて田んぼの風景の中をぐるっと歩く。まぁ、ここからでも十分きれいだ。
不定形で不ぞろいな田んぼは一枚一枚が連結しており、上から順に水が供給されるようになっている。
保水性の低い土壌で昔から水の確保に苦労してきたこの地で、節水のために考え出された
「田越し灌漑」と呼ばれるシステム。


おや、ここはまた奇妙な田んぼが。。。明らかにイネとは違うモフモフの草が幾何学的な模様を作って
青々と茂っている。ネコ草が大繁殖したのだろうか??刈り取り後の田んぼにジリジリと増殖中。。

さぁ、もうそろそろ空港へ向けて戻ろう。

帰路を急いでいると目の前に、ギョッ!!耶馬溪よりもヤバイ風景が!!スト~ップ。


大根が逆に河原からニョキニョキと生えているような、不思議な風景。。。どうなったら
こんな風になるのだろう??


この奇観は「三宮の景」というスポットらしいが、周りには何もない。
耶馬溪は全国区の観光地なのに、エライ違い・・・


さらに南へ向かって走っていると、うわっ!何か映画のセットのように両側に古い建物が並んだ
まちなみに出くわした!


普通の和風の町家とは違う明らかに洋風を意識した意匠。何だこれは!?


通りかかったおっちゃんに、「ここは何と言うところですか?」と尋ねると、西小川という場所で、
この通りは横町というと教えてくれた。この建物はもと銀行だとか。へぇ~!!


かなり古そうだな。。。


こちらは医院らしく、タイルやモールガラスが使われている。ガラスに書かれた金文字はもう
かなり薄れているが、「成原医院」と書いてあるようだ。



こんな田舎の集落に銀行や洋風意匠の建物が並ぶのは、やはり相当栄えた場所だったのだろう。
街道筋だったのだろうか。

日が落ちる前に空港近くまで戻ってきたが、少し時間が残ったので名物らしいハモ天丼を食べてから帰る。
う~ん、国東半島満喫したな!

帰りもANAで伊丹着、バスで阿倍野まで30分。あ~~ラクチン~~♪

終わり。

2016.12.03~04 国東半島一周 もくじ

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初めて空路で大分入り。こちらもふっこう割でANAのパックを利用した1泊2日の旅。
レンタカーでのんびり気ままに国東半島を一周してきた。

大分空港から
2つのフェリー港風景
夷谷温泉と海門温泉
豊後高田の近代建築
四の湯温泉と赤松温泉
山香あたりのまちなみ
安心院の鏝絵
田染荘と三宮の景

伊丹空港の便利さに今更ながら開眼(笑)
関空発着のLCCとの差額がどのくらいなら、伊丹発着の大手キャリアを使うか・・・う~む。

名古屋ビルめぐり 中央マンションビル

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去年の春に18きっぷで名古屋に日帰りで行ってきたのだが、地下鉄名古屋駅のモザイクをアップしたのみで
その後ほったらかしになっていた。
先日mayumamaさんが名古屋へ行ってきた記事を見て思いだしたので、今更ながらアップすることにする(笑)

常滑に行った時に入手した「タイル・陶壁プロジェクト」の「街あるきマップ 名古屋 栄・白壁地区編」に
載っているスポットを順にたどることにし、久屋大通駅から歩き出す。


オフィス街の中にあるこぎれいなビル、どこに魅力的なタイルがあるのかと思ったら、サンクンガーデンの
内側の壁に陶製のオブジェが。これはタイルじゃないけれど、じっくり見ると、タイルにしても素敵そうな
テクスチャーも。




東袋町ビルディング。あみだくじみたいな模様のモザイクタイルの床がマップに載っていた。


かなり古いビルで、ガランとしていた。建て替え間近なのだろうか?




ゆるくカーブを描いたこの階段もいいね。


しかしその向かいにあったこのビルの方が私は気に入った!


「中央マンションビル」というのがこのビルの名前らしい。
左側のこのエントランス部分がとても素敵!!


右側は徳倉建設の事務所のエントランスと駐車場の出入口になっている。
徳倉建設が自社ビルを兼ねて建てたのだろう。




この美しい色合いのタイルを見て!!遠くから見ると落ち着いた藍色に見えるが、見る角度によって
紫や水色にも見える窯変タイル。光が反射してなかなかうまく色を映し出せないのがもどかしい。。


これが壁いちめん、いや、2面にびっしりと貼られているのだから、ひとり、うぉ~~~っと唸るばかり(笑)


そして徳倉建設側は、一転、炎のような赤色の同じタイルがこれまたびっしりと貼られている。
中央の柱を境にして左はマンション、右は企業ビルとして明確にイメージを分けてある。


マンションの入口の上にはこんなステンドグラス(と言うのか?)もある。
中を覗きこんではいないがおそらく吹き抜けの階段ホールになっているのだろう。カッコイイなぁ!

定礎は昭和39年12月、とあった。高度成長期まっただ中。この時代のビルの質感が好きだなぁ。

続く

名古屋ビルめぐり 中日ビル

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名古屋の続き。

久屋大通と広小路通の交差点のランドマーク、中日ビル。屋上にある円盤は回転展望台だな!


道路の隅切りの形をそのまま立ち上げた形の巨大ビル、そして回転展望台も1960年代のビルに
よく見られるもの。そして近年どんどんなくなっていっている。


中日新聞社とその関連会社の劇場や宴会場などのほかテナント店舗も入る大型複合ビルだ。


一歩中に入ってみると・・・おお~~~っ!!ホールの天井いちめんにモザイクが!大胆!!


警備員のおっちゃんに声をかけて写真を撮らせてもらう。


片隅に「R.Y. 66」との銘入り。これもやはり矢橋六郎の作だ。
その横の「REP 88」とは、リベア年だな。


中央のエスカレーターを上ると、モザイクにぐ~んと近づける。


しかし上りきってしまうとまた少し遠くなるので、エスカレーターに乗りながら上を向いて
写真を撮ろうとするのだが、動いているのでなかなかうまく撮れない(汗)。2往復する。


ガラス質のテッセラを貼り付けたモザイクだ。ひとつひとつ微妙に形が違い並べる向きもバラバラ。
ひとつひとつ手で貼り付けたと思われるこのモザイク、天井全面の絵を描くには気が遠くなるような
作業だっただろう。しかも全体としての色合いやグラデーションを表現するために、全体を見渡し
ながらの作業はすごい労力だ。ため息がでるなぁ~


「おかげさまで50年」。2016年はこのビルができてちょうど50周年記念の年だったようだ。
1966年、華やかな時代に建てられた。


警備員のおっちゃんと少し会話。
「屋上にある円盤状の部分へは上れるんですか?」「今はもう上れないんですよ。昔は直営の回転展望
レストランだったんですけどね。」「ええっ、やっぱり。回ってたんですか」「回ってましたよ。
天気のいい日は御岳や鈴鹿山脈まで見えましたよ」「うわぁ~、上りたかった。いつ廃止されたんですか」
「15~20年前くらいですかね。今もビアガーデンの時にはビルの屋上までは行けますよ」


今、この記事を書くために中日ビルのサイトを見たら、
「株式会社中日新聞社と中部日本ビルディング株式会社は、2019年3月末をもって中部日本ビルディング
(中日ビル)を閉館し、新ビルに建て替えることを決定いたしました。」とのお知らせが・・・・

うゎ~ん、もったいないよぉ~~!!(泣)
このモザイクは新ビルに移設されるのだろうか。。。

続く。

名古屋ビルめぐり 丸栄百貨店

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名古屋の続き。

UFJ銀行のビル。こういう箱型のフォルムで同形の窓が細かい格子のようにびっしりと並んだファサードも
60年代~70年代のビルによくあるタイプ。私は結構こういうのも好き。
大阪の御堂筋沿いのビルは近年建て替えが急加速して、この時代のビルはもうかなり減ってしまった。


ねぎ坊主みたいな街灯もレトロで素敵だなぁ~~!


広小路通の歩道を歩くとひときわ出っ張っているのが村野藤吾設計の丸栄百貨店。出っ張っているのは
古いということ。


1953(昭和28)年築。北面と東面の格子のスクリーンっぽいファサードは中日ビルや上の写真の
ような60年代のオフィスビルに通じる。


しかしちょっと違うのは、この微妙な色のチョイス。うすむらさきというか藤色というか、、、
誰が、こんな色を巨大なビルの外装として選ぶだろうか!?そして藤色の部分は全て4cm角ぐらいの
モザイクタイル貼である。


そして藤色と黄色の格子によって分割された細長い四角形は全て、ひとつひとつに窓ガラスのサッシが
はまっている。W300xH3000ぐらいか。なんと細い窓だろう!!おまけに窓の下の部分には
ご丁寧に水切りがついているのだ。村野藤吾のビルは一見クールだが近くで見るととても人間味を感じるなぁ。


東面と北面のファサードもとても素敵だが、やはりこのビルは西面が見せ場だ。
同じビルだとは思えないほど、こちら側は人間味全開。ギャップ萌えも甚だしい(笑)


壁全体をキャンバスにしてフリーハンドでなぐり書きした落書きのような模様は、いったい何を
表しているのか、全く分からないが・・・


私が好きなのは、このモザイク壁画がほとんど、小口タイルと、同じ高さの正方形のタイルのみで
描かれていること。色を変える(と言ってもほとんど緑と茶色)、貼る方向を変える、目地の幅を変える、
パターンを変える。これだけの方法の組み合わせで、まるで模様織のように奥行きや陰影を感じさせる
壁画を作り出しているのである。


こんな大胆でシンプルで細やかな造作は、村野藤吾ならでは・・・ほんとにすごい!


広小路通の並びにあった、元明治屋のビル。ロゴは外され、空き家のようだ。


大阪の堺筋にあった明治屋ももうずいぶん前に出て行ってしまって、今はローソンが入っているが、
なんだかなぁ。。。


「錦2丁目計画」という看板が上がっていた工事現場。ちらっとのぞいている建物は近代建築だな。
この部分を取り込む形で地上21階建ての新しいビルを作ろうとしているようだ。
今頃もうだいぶ高くまで組み上がって来ているだろうか。


続く。

名古屋ビルめぐり 企業ビルいろいろ

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名古屋の続き。

マップをたどって、中小企業ビルが並ぶ長者町あたりをうろうろ。


アパレル関係のビルのきれいな水色の小口タイル!!混ざり具合もいいなぁ~




こちらは商店街で見かけたグリーン系の小口タイル。


連続水平窓の中小ビルは70年代だろう。


こちらも水色系の小口タイルがびっしりと。鮮やかな色はこの時代の新製品だったに違いない。


こんな波板のアーケードの残るところもあり、レトロな雰囲気がそのまま今に残っている。


「長者町繊維街」の看板が延々と並ぶ。押しが強すぎる(笑)


放物アーチの連続するこのビルはさすがに戦前だろうな。
窓が割れ壁には落書き、テントは破れ・・・・痛々しい。一部の店はやっているようだが。。




このあたりは薬品メーカーが集まっているエリアのようだ。ノーシンビルディング。1階の窓の面格子が
クールだな!!


地下室のトップライトの丸いガラスブロックがぽこぽこしていてカワイイ~


愛知県産業貿易館のビルの駐車場の入口にあった満空表示板は、ネオン管でできている!
ネオン管ってもうほとんど見かけないが、曲げの制約があるため文字をデフォルメして表さねばならず、
しかも一筆書きにする必要がある。「満車」と「空」を切り替えるために、文字を前後に重ねてある。。。
その下の「駐車場」の文字ももう芸術の域じゃない!?ネオン職人のプライドが感じられるようだ。
今ならLEDなので表示器も薄いが、このアナログさが愛おしい(笑)

外堀通りに面した愛知県産業貿易館も、全面タイル使いのカッコイイビルだったが、建て替えのためか
すでに閉鎖されていた。今頃もう解体されているのだろうか?

名古屋城の外堀にかかる本町橋。


外堀にはかつて電車が走っていた。瀬戸電気鉄道、のちの名鉄瀬戸線は、瀬戸焼の産地からの貨物輸送の
ために、実業家らの出資によって開通。名古屋都心部への乗り入れにあたって名古屋城の外堀が利用された。
この狭い堀の中でも複線で、大津町、本町、堀川、という駅もあったらしい。堀川駅では荷物を船に積み替え
水運と連携を実現した。


本町橋の下はこんな狭いアーチのトンネルになっているため、複線の線路はいったん収束しなければならず
上下線のレールが入れ子になったガントレットという特殊な構造をとっていた。
当時の写真を載せている詳しいサイトがあった。→こちら

この外濠線は1976(昭和51)年に廃止されているので、もちろん私は電車がここを走って
いるのを見たことがなく、知りもしなかったのだが、もう十数年前に名古屋にほぼ初めて来たとき、
この外濠に電車の気配を感じたのを覚えている。

続く。

ステンドグラスを作ってきた

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半月ほど前になるが、mayumamaさんに誘われてステンドグラス体験に行ってきた。
事前にちゃんとデザインを考えておかねば~~と、宇野澤辰雄や小川三知のステンドグラスの本を
パラパラ見ていて、どれかを真似しようかとも思ったのだけど、こないだ見てきた熊本の通潤橋を
デザインすることにした。(そのときの記事はまだ・・・)

小川三知など見ているとついつい気が大きくなってしまい(笑)結構細かいデザインにしてしまったが
ステンドグラスの作業は1日で全て終わらせなければならない。mayumamaさんにも突っ込まれ、
13ピースの省略版に変更(苦笑)。
ガラスもいろいろあって迷ったが、アンバー色をメインに渋めにまとめることに。


しかし、ガラスの性質上、直線やゆるやかな曲線なら切りやすいが、深く凹んだ形というのはとても
難しい!先生に切ってもらったがかなり苦労されていた。スミマセン・・・(汗)



何とか時間内に仕上げることができた。まぁまぁいい感じじゃない!?
人に見せても石橋とはなかなか分かってもらえないのだけれど・・・(苦笑)

家にあった額にすっぽりはまったが、ちょっと雰囲気が違うので、また別途で作ることにしよう。


mayumamaさんの記事→こちら

名古屋ビルめぐり 愛知県庁大津橋分室

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名古屋の続き。

こちらは名古屋城外濠の大津橋。前回の本町橋とともに、親柱に照明器具が載った昔の姿をとどめている。
照明器具は復元されたのかもしれないが、官庁街の玄関口として見栄えがするな。
手前にあるのは、大仏の頭ではなく(笑)器に盛られた花の彫刻である。


大津橋の横に大津町駅があった。→こちらのサイト参照


大津橋を渡って名古屋城の場内に入ると、帝冠様式の愛知県庁。1938(昭和13)年竣工。


そして名古屋市役所は1933(昭和8)年竣工。いずれも戦前戦中の匂いの濃い官庁建築の典型である。
これらはなくならないだろうから、今回はスルー。


大津橋のほど近くに、こじんまりした近代建築が2軒仲良く並んでいた。そのひとつが、愛知県庁大津橋分室。
愛知県信用組合連合会会館として1932(昭和7)年に完成。発注者は愛知県だというから、
これも根っからのお役所建築だな。


まず目を引くのはエントランス周りのギザギザの装飾。ギザギザと言ってもセセッションとか
キュビズムとか、モダニズム的なクールさは感じられず、なんとなくアジア的な印象も感じさせる
アクの強いデザイン。


松明がモチーフ??入口庇の上に7つ並んだレリーフは散華のようにも見え、7体のお地蔵さんにも見える(笑)


北東側から見ると印象ががらりと変わり、角部分がまた特徴的。2階、3階、屋上の塔屋まで貫く
白い付け柱が3本ずつ。付け柱の間は2階から3階まで途切れなくガラス窓がはめ込まれている。
このあたりは当時かなり目を引いたであろう。


中で何かの展示をやっていたので入ってみた。1階ホールの床はこんな無釉の色土タイル貼り。
素敵だな!


塔屋の部分はやはり階段室だ。丸窓も踊り場できれいに現れている。



内部は割とあっさりしていた。
→施工した北川組のサイトを見つけた。

そしてそのお隣は伊勢久株式会社のビル。1930(昭和5)年。
同じ3階建てでも高さは1階分ほども違っている。


明るいサンドベージュ色のタイルの外装は、表から見える部分のみで合理的に。
こちらも2~3階を貫くねじねじ柱が特徴的。あとは控えめなレリーフと持ち送りくらい。
外観的にはこちらの方が好みかな。


オリジナルと思われる照明器具もいいなぁ。企業ビルなので閉まっていたが、中には素敵な
ディテールが隠されているんじゃないか、と思わせるビルだった。


こちらは中北薬品。上の建物を見たあとではなんとあっさり見えることか(笑)。まるでプレハブのようだ。


1936(昭和11)年竣工というから、お役所がまだ重厚な建築を作っている間に、民間では最新の
モダニズム=ムダを削ぎ落としたローコスト建築に飛びついていたのだろうと想像する。


名城小学校のシャチホコの壁面レリーフ。名門、という感じがするなぁ~(笑)


続く。

名古屋ビルめぐり 名古屋陶磁器会館

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名古屋の続き。

市役所駅から地下鉄に乗って高岳駅まで移動。
太洋ビル。1931(昭和6)年の築。「太洋株式会社」と検索してもそれらしいのが出てこない
ところを見ると、会社はもうなくなったのか。ビルの感じからして商社だと想像するのだが。


太洋商工株式会社というのは今もあって、このビルの管理をしているらしい。ま、こちらも本来の
業務内容は別だっただろうが、今は貸しオフィスビルになっているこのビルの世話をしていると
いうことなのだろう。

2013年に塗り替えられた外壁は落ち着いた色合いで、部分的に石使いが効いているエントランスまわりも
シンプルながら素敵だ。まだまだ桜通りの顔としてがんばってほしいなぁ!

えび茶色の立体的なボーダーがひときわ目を引くビル。効果的なタイル使いだな!


日本陶磁器センター。さすがっす。


こちらは1958(昭和33)年に建てられた新館で、裏に旧館がある。


ぐるっと裏へ回るとかなり古そうな建物が。これが日本陶磁器センターの旧館。
しかし、3階にアーチ窓が見られるものの、出入口は勝手口のような地味なドアがひとつあるだけで
なんとも地味。角に煙突があるのも無骨で裏側感満載。


・・・と思ったら、桜通りの拡幅によってこの建物は曳家され、その前に新館が建てられたのだった。
なので、旧館の堂々たるエントランスは、新館の裏に隠れてしまいもう見ることができない。
もったいないなぁ。どうせなら、180度回せばよかったのに!?

日本陶業連盟のサイトに写真があった。



ちょっと移動して・・・こちらは名古屋陶磁器会館。上の写真の日本陶磁器センターの旧館とよく似た
色合いのスクラッチタイル貼りでアシンメトリーな外観、3階は後の増築と思われる。


全体的にすっきり装飾は抑えて、スクラッチタイルの趣を生かした外装。
アーチ窓と、一部横ラインもポイント的に入っていて、洗練された感じだな!


側面の階段室の窓の下部が段々になっているのが遊び心を感じるなぁ~


エントランスの梁にはこんなレリーフが。テラコッタではなくモルタルかコンクリートのようだ。


平日は開いていて1階の展示室を見学可能らしいがこの日は日曜なので閉まっていた。
恨めしくガラス窓に顔をつけて覗き込むのみ・・・(苦笑)
ステンドグラスもあるし照明の笠も素敵だし・・・きっと見どころが多いに違いない。


名古屋陶磁器会館のサイト


向かいにあった喫茶店、ばんぶう。2階の窓のルーバーを囲む緑色のラインとCOFFEEの文字が
かわいいな。これも焼き物だろうか?


続く。
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